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わたしがチャイをつくる理由

夜と朝がゆっくりと溶け合う頃。薄暗いちいさなお店の中で強面のおじさんが「お砂糖1個?2個?もっと?」と指でジェスチャーしながら、グツグツと大きな鍋をかき回していて。「1個」と答えるわたしに、なみなみと茶色い液体が注がれたちいさなグラスを差し出してくれる。

チャイと初めて出会ったのは3年前、インド・リシケシュを旅した時。

ふうふう息を吹きかけて吸い込む頃には、
「今朝は寒いね」
「今日は向こうに山が見えるよ」
なんて、周りにいたみんなが柔らかい表情で、ぽつりぽつりおしゃべりを始める。
名前も知らないみんなとこうしてチャイを飲む朝の時間が最高に大好きだった。


甘くて、美しくて、美味しい。ドリンクが生み出すコミュニケーションの心地よさ

インドでこの風景に出会ったとき、なんだかチャイはお店に流れるBGMのようだなあとぼんやり思ったことを覚えてる。最初は耳についていたのに、段々と空気と溶けて空間の一部になって。会話を引き出してくれたり、その場の居心地をよくしてくれたりする魔法のように。チャイはインドの人たちにとって生活に溶け合い、コミュニケーション道具のように存在する。

ご飯から生まれるコミュニケーションはこれまでにも体験したことはあったけれど、たった1杯。10分やそこらで出来上がるコミュニケーションの場。はじめて出会った人たちが甘いチャイを通じてゆるゆる笑い合う目の前の景色に、なんだか上手く言葉にはできないのだけれど、これまでに感じたことのない衝撃を受けた。

この心地よさはその後に知り合ったつねかわさん(最近あってないね。元気?)が作るクリームソーダでも同じようなものを感じて。

美しくておいしい、1杯のクリームソーダから広がっていくあたたかな空間。作る過程の美しさに、隣にいる人たちがゆるやかにおしゃべりを始めるあの自然な空気。

甘くて優しくて、体をほっと温めるスパイスが生むインドの空間と。
美しくて見つめていたくなる、つねかわさんのクリームソーダのような空間と。そのふたつをミックスさせたチャイ作りをしたいと思った時には、まるで呼吸をするようにチャイ作りを本格的にはじめていた。


チャイは珈琲ブレイクができないわたしの、特別な今日を作るためのアイテム

「チャイも良いけれど、それって珈琲ではだめなの?」
その話をしたら友人にこう聞かれ、確かにね、と返した。
ふんわり立ちのぼる良い香りの豆と、それをくるくると削る所作。

トロトロとお湯を注ぐ器具の透明感と美しさ。そこから生まれるコミュニケーションや空気も、わたしはとても大好きで。
珈琲には昔から強烈な憧れがあった。だからこそ、自分が30歳になっても珈琲が飲めず、いつもチャレンジしては「うう、お腹がいたい...」となっているのは、不本意だったし悲しかった。

でもだから、チャイの茶器の美しさや、ああやって、みんなで所作を見つめながらゆるゆる待つインド時間と出会って、ああ、これだなあと思った。
珈琲ブレイクができない私に必要なのは、この時間なのだなと。
そしてきっと、わたしのように珈琲コンプレックスを抱えているひとたちの穴を埋めてあげられるのかもしれないなあと同時に思った。

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珈琲とちがいチャイの味は、まあるくてやさしい(なんて言ったら珈琲好きの人たちに怒られてしまうかもしれないけれど)。

あのまあるい時間を、もっともっと多くの人に届けたい。
舌の上でトロトロととろけていく美味しさも。
美味しいだけではなくて、所作も道具も美しい時間も。

多分作りたいのは、みて、空気に触れる時間。特別な今日を作るための、大事な時間そのものなのだ。

ホールスパイスから丁寧にチャイを淹れ、トロトロと煮込んで、飲み終えるまでの時間は多分15分くらい。

2019年。「心がほどける15分の処方箋」
という名前でわたしがチャイブランドの立ち上げをはじめたのは、多分こんな理由から。

のんびり、進んでゆきます。

Main visual: erikaさん(@yes__01)

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