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子どもの入院で感じた事(過去記憶)②

溢れた涙に寄り添い、そっと同じ時間を過ごしてくれました。ただ、そこにいるだけで本当にありがたく、そして、大丈夫と言い続けてくれました。

後になって思うと、この大丈夫は、きっと、どちらに転んでも大丈夫だよ、だったのだと思います。

何ががあってもどんな事でも、大丈夫なのだと。

何故、声をかけてくださったのか。私の不安を感じとり、そして支えになろうとしてくださる気持ちと行動の中にあるもの。

いままさに壊れそうな、その繊細な部分が理解できる過去の経験がありました。

人は、自分に解る何かが誰かを救えるかも知れないと感じる時、寄り添い手を差し伸べようとするのは、まさに人であるからか。

人であるからこそ存在する素晴らしくあたたかいもの。その方が存在する価値と、その価値から生まれる感謝と前進。

こうやって人が、いっ時でも繋がることにより生まれる変化のおかげで、前進しているのかもしれない。

何度も何度も泣いて、何度も何度も入退院を繰り返し、我が子が小さな体で戦うことを支つづけていることを知り、今ある親子の笑顔の意味が、心の奥底にきざまれてゆきました。

数日の検査の後、我が子は、原因を探る事と考えられる課題に向き合う事は残りましたが、ひとまず脳腫瘍ではない事がわかりました。

私を支えたお母さんは、目を潤ませて、本当によかったと仰ってくださいました。その方のお子さんは、これからも脳腫瘍と戦い続ける中で、です。

それは、社交辞令なんかではなく、まぎれもなく本物の気持ちでした。

とんでもなく大きな器に、私は、何故この方がこんな風に与えられる人なのか、強く心を揺さぶられました。

私の在り方を、大きく変えてくれた方でした。

何処のどなたかの発信か忘れてしまいましたが、本当に優しい人は強い。優しいふりをする人は弱い。と、書かれている言葉があります。

強く本物の優しさは、弱さに向き合い丁寧に労わった経験からうまれるものなのではないか。一言では語れない簡単ではなかったはずの人生の歴史。

その方が経験した心の痛みや出来事を、誰かを自然に支えれる強さに変えている事。その姿を今でも忘れる事はありません。





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