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パパとママ、子どもの事をどっちがやるか論争

子どもの事をどちらがやるか論争。

トレパンを替えてあげる、トイレについていってあげる、食事のサポート、お風呂入れ、幼稚園、保育園のお迎え、習い事の送迎、参観日の出席、運動会の親子競技の出番や役割、などなど。

シチュエーションは、まだまだ山ほどあります。

お互いがお互いを、思いやれたらいいのですが、

忙しい時や疲れている時、自分の事をわかってほしいタイミングがお互いに合わない時、歩み寄るのが大変な時もあります。

ただ、ひとつ。子どもの前でだけは、その言い合いを、うっかりやらないように、気をつけたいこところです。

例えば、お迎え。どっちが行くか話し合うレベルを超えて、パートナーの都合の中から、行けそうな隙間を細かく探り合うような事や、それを言い合ったり喧嘩したりするのをきいていると、

こどもは、自分のお迎えをなすりつけ合っているのをみて、自分の事なんか大事ではないんだ、面倒くさい存在なんだと思い込んでしまいます。

毎日、本当に忙しい。けれど、幼い小さな心にはまだ、それは理解できません。

せっかくいろんな事を大切に、日々を過ごしているならば、日常の延長にある話し合いの中に、その危ない要素にうっかり、は勿体ないですよね。

また、学童期や思春期になり、自分で帰れるようになっても、なんでも出来るようになり自立していても、

どちらがやるか論争はやはり避けたいところ。

出来る?やってみる?と、ただ自立を促すならよいですが、

何かを両親のどちらかが担う前提ならば、どちらか論争の言い合いを耳にしてしまえば、(日々の大変さ自体は理解してくれたとしても)、存在価値を揺らがす影響力は残るものです。

家事をどちらがやるか論争も、家族の事ではありますが、対象が家庭という小さな組織での役割分担話なだけに、

もし聞かれてしまうならば、この論争の方がまだいくらかいいかもしれませんね。


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