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虐待サバイバーとしての私 ②

前回に続きます。まずは、①を読んでいただくのをお勧めします。

10代後半になって、一刻も早く家から、この環境から脱出したいと思うようになりました。
それは、母の影響で身の回りの人間関係や繋がりが壊される事が少なくなかったからです。

高校生になって自分の自由にできるお金がなかったことから、アルバイトを始めました。
でもそこでも、私が母の話を最後まで聞かずに働きに出たことから、母がなんとアルバイト先に苦情まがいの電話を入れたんです。
その電話のせいで1時間近くマネージャーは母の話を聞くことになってしまい、オーナーの耳にその話が入り「こっちが雇ってやってるのに。営業妨害だ!」と私はクビになってしまいました。

またある時、気になる男子の友人と2人で出かけることになり喜んでいると、母は激怒。夜遅くに友人の家に電話して、
「男女二人で外出なんて、うちは許していません!
どう言うつもりなんですか?」と筋違いな話を友人の母親に数十分怒鳴り続け、私は泣きながらそれを見ていることしか出来ませんでした。
もちろん、その友人とはその後疎遠になってしまいました。

母の手でいろんな関係が壊されていくことに恐怖しかありませんでした。


高校生になると、私は仲のいい友人には母のことを相談していました。
そして、ある日友人が先生に相談しに行こうと言ってくれました。

私は正直内心乗り気ではありませんでした。
だって、大人がどんな顔をするか、今までの経験でよくわかっていましたから。

案の定、先生の返答は冷たいものでした。
先生の腕組みをしながら苦い、困った表情を今でも覚えています。

部活の顧問の先生に打ち明けた時には、
「もう16でしょ?そんなに家が嫌なら出ていけばいいじゃないか」と言われました。
その言葉を真に受けて、私は東京まで出て不動産を巡りましたが勿論、未成年の学生の話を真剣に聞いてくれる会社はありませんでした。

警察に相談したこともあります。
ある日、いつものように母と諍いになり、混乱した頭のまま私は家を飛び出しました。
そして近所で唯一の交番に逃げ込んだんです。
しかし追ってきた母に見つかってしまいました。お巡りさんは、
「実の親を悪く言うなんておかしいよ」と母と一緒になって私を責めました。
泣きながら私は家に帰るしかありませんでした。

世の中結局は他人事。
大人なんて頼りにならない。
親が正しいなんて言うのは幻想。

これらの10代で形成された私の中の思想は全て、こういった経験が元になったものです。

私はその後、20歳を迎えてようやく自力で家を出ることができました。

いえ、完全に自力、というわけではありません。
祖父母に交渉し、大学に行く代わりに東京に行かせてくれと嘆願して、お金を出してもらいました。

なので、虐待サバイバーにしては完全に恵まれている方だと自覚はしています。

でもお金がなく、頼れる親も家族もいない、そんな子どもがどうなるか。
そんな状況に常に背中合わせで生きてきた私には、想像に難くありません。
むしろ、それが怖くて、家をとびだせなかったからです。

母は仕事が続かない人でした。
一度一人暮らしを許されて生活した時期には多額の借金を作り、祖父母がそれを返済して実家に連れ戻したということも聞かされました。
母はパラサイトでした。
私と妹の養育費と、叔父の事業の手伝いをやっているていで給料を受け取り、
私たちを保育園に入れ、足らなくなると祖父母を暴力で脅して金をせびっていました。

なので私は、働いて自立できる大人に、女性になろうと固く誓っていました。

でも、今、私はうつに苦しんでいます。

おそらく10代からうつ病を発症していたのだろうと医師から言われました。
確かに、思ってみれば20代前半、一人暮らしを始めて自由に生活できた頃、既に朝起き上がれない日が一ヶ月に数日ありました。
それで仕事が続かなかったり、約束をドタキャンしてしまって怒られて人間関係が壊れたりしたこともあります。
ずっと自分の甘えのせいだと思っていました。怠惰のせいだと。
でも今、27になってですが、うつ病だと言うことがわかってすごく靄が晴れた気分です。
病気だった。それなら治せる。
希望の光が差し込んだ気がしました。

虐待の過去と同じように、自分の苦しさもなかったことにして生きてきてしまっていたのだなと。そう気づきました。

今回、noteに書いたことも、
本当は何もなかったことにできたら、どんなにいいだろうと思い続けてきたことです。

上京してきた時は、なかったことにして生きていこうと思いました。

でも、だめでした。
自分の中の何かが悲鳴をあげているようでした。
終わったはずのことなのに、辛くて、まだ苦しんでいる自分がいる。
それが事実です。

虐待は、無くすべきものです。
虐待は決して一過性のものではありません。
虐待を受けた子どもを保護して、親と引き離して、はい解決。というお話じゃないんです。
それは一生を通して、虐待を受けた子どもを苦しめることになる問題です。

理解すること、理解してもらうことは簡単なことではありません。
でも、
私はもう諦めたくありません。
あの時、助けを求めることを止めてしまったみたいに、
あの時の私は子どもでした。限られた権利と情報だけで何もできなかった。

でも今はもう大人です。
だからこそ今は諦めずに行動することや声を上げることをしたいんです。

少しずつでも世の中を変えていきたい。

私みたいな人間は、少なくないと思います。
みんな敢えて言わないだけで、実はそんな虐待サバイバーが社会にはたくさんいる。

でも、後の世代のためにも、発信することで変えていきたい。

私は発信と活動を続けていきます。
今、私が好きなものを楽しめたり、美味しいものを食べて、素敵な人と素敵な時間を過ごせるのは、苦しい毎日の中でも生きてくれたあの時の幼い自分のおかげだから。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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