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私の壊れた涙腺

思い起こせば私は、気難しい子どもだった。

一度落ち込むとなかなか戻って来れなくて、
何度も友人に呆れられた覚えがある。

たまにずっと隣にいてくれる子もいたのだが、
私は申し訳ない思いでいっぱいになりながら、いつ私を置いて、楽しそうに遊んでいる子たちのほうに行ってしまうかとずっと、怯えてた。

離れて欲しくないのに、泣き止めなくて、なかなか笑顔になれなくて、
私が泣いてしまったせいで雰囲気を台無しにしてしまったことがひしひしと伝わってきて、
そんな自分が嫌になってまた泣けてくるのだ。

鮮明にその感情を、傷みを、今でもはっきり覚えている。

そんなわけで泣き出すと止まらなくて、
根を掘るように何もかも思い出して泣いた。
どこまでも深く深く、ネガティブに考えることのできる子どもだった。

いつからだったんだろう?
でも、うんたぶん物心ついた時から。
小中高と、学校では常に集団の中で苦しんでいた。

他人と齟齬が生じた時は衝突に苦しんでいたし、そうでない時は1人だけ頑張りすぎてしまって後で苦しくなった。

なぜか集団でずっと機嫌良く居ることができなかった。
小さな事に傷ついて、拘って囚われて譲れなかった。

「泣いてる、また泣いてるよ」って知らん顔しやがって
マスターボリューム / UNISON SQUARE GARDEN

この歌詞を聴いた時、深く共感したのを覚えている。

田淵さんもそんな経験があるんだろうかと思ってしまう程、
泣きながら何度も思った事がある。あの悔しさを的確に表してる。
勝手に重ね合わせていた。

10代になってからも泣き虫は変わらなかった。
気がついた時、私の涙腺は既に壊れていたのだ。

思春期になって恥ずかしい思いが勝ってくると、人目を憚りながら、それでも泣いた。
少し泣いて、無理やり自分を叱咤して、和に戻った。

学習もした。
泣くよりも行動したほうが早い。

ひとりで考え続けていると延々と泣き続けられるので、人と話したり一緒になった方が、意識が移って泣き止めるのだ。

それにあんまりにも引き摺ると戻りづらくなるということも理解した。

逃げて終えば、一瞬は楽だ。
でもその後、「あの子はすぐ逃げる」「いきなり帰るなんて」と(実際は言われてないのかもしれないけれど、そう思われてしまってそうで会うのが)自分が辛くなる。

自分の涙よりも、行動を優先すること。
それは涙腺が壊れている私が自然と身につけた処世術だった。

と、涙脆いのをやめたくて検索すると、だいたい上記の行動する事の対策が出てくるのだが、
それはわかってるのよ…
抜本的解決方法を誰か教えてくれませんか……

と思っていたら、これもしかしてうつの症状と同じなのだろうか、とふと思い当たった。

もしかして物心ついた時からのこれも感情失禁だったんだろうか??

正直、今回記事に書くまで、そんなふうに自分で矯正したことを忘れていた。

でも本当は、幼い私は本当は、
どうして欲しかったのか。
ありのまま受け入れてくれる人を、ばしょを、
その安心感を思いっきり味わいたかったのかもしれない。
「そのままでいい」
そう言ってくれる人を探していたのかもしれない。

そんな人は結局今まで現れることがなかったのだけれど。


このことを書こうと思ったのは、久しぶりに大きな大きな失敗をしてしまって酷く混乱し、涙が止まらなかったから。
今も人のいない喫茶で「1人泣く大人」という不審者になっている(苦笑)

でも、それは昔から。
もう慣れてしまって、またかと自分に呆れてすらいる。

私は涙腺が壊れている。

泣く事で感情を整理し、次に向かえてるのかもしれない。
ただ、虐待受けていた時から涙腺が壊れっぱなしなだけなのかもしれない。

うつが快方に向えば、涙腺も治るのかな…?
そうだといいな。

大人になってだいぶ改善されてきたと思っていたのに、思いがけず幼い頃の自分と再会してしまい戸惑った事でした。

たぶん虐待サバイバーであることと、HSPであることが掛け合わされてこんな自分がいるのかなとか、思ったりするのですが、
ただの私の性質なのか。
それともうつの症状なのか。

甘えだろうと言われることに関してはもう気にしません。
どう戒めても今まで直せなかったのだから、これが本当に甘えなのだとしたら、私は生きていちゃいけない気がする。

今回も読んでくださりありがとうございました。

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