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何度目かの深い闇の淵から

また3日間くらい、
深い深い底にいました。

仕事を平日5×7時間していない今、
なんだか自分が社会の役に立っているのかわからず、落ち込みます。

人に会いたくても、会うにはすごくパワーが必要。

深淵に沈んだそんな時は、薬を飲んで、食べれる時に食べて、あとはひたすら寝て、漫画や軽い読み物を手に、思いを馳せて泣いて、ごろごろ寝転んでいます。

そんな私が少しでも人の役に立ちたくてとやっていたコエールの活動も先日、一旦は幕引きになりましたし、
その活動でも様々な葛藤がありました。

一所懸命やっていることが、まだまだだと言われたり、他者の不満を生み出している事実は私にとってすごく悲しい、悲しいことでした。

社会の縮図を見ているようだった。

お互いに事情があって、感情があって、役割があって、権限があって

「携わってみよう」と勇気を出してくれた人が、衝撃を受けて「私には無理でした」と身を引いていく様を見ていると凄く凄く辛くなりました。

なんで積極的に関わっている人が責められなければいけないんだろう?

真に訴えたり、的にすべきは無関心な人ではないのか???

本当は、そんな「親に頼れない」ことを知らず関せず、理解しようともせずに、社会で悪気なく大きな顔をして壁となっている人たちを相手にすべきなのに。

なぜ人は傷つけあってしまうのだろう?

また深く考えすぎな性質が出てきてはいましたが、次に活かすためにも私はやめたくない、
と誓いました。

うつになってからというもの、3大欲求の激的低下に戸惑っています。

日々の営みに関心が持てない。

以前は、やりたいことやこだわりが自分なりにあって、それをする事で満たされたり、活力が湧いていたのに。

今は、腹が満たされればいい、新しいことにも手を出せない、ただひたすら動きたくない。

外に出ても今の私には刺激が強すぎて、小一時間で疲れてしまって全然楽しめません。

何かする時には、ちゃんと予定を組んでその何倍もの準備や心づもりを用意して取り組む必要があります。

でも、コエールは出演できて本当に良かったな

アーカイブも見て、自分で、自分ながらに
「なんだ、ちゃんと人前に立てるじゃん」て、
勇気を少し、もらえた気がしています。

大好きな漫画のひとつに、
『ちひろさん』(安田弘之著)があります。

私が深淵に落ちた時、必ず読む漫画のひとつです。

彼女の生き様が大好きで、こんな女の人になれたら良いなと思っているのですが、
その中で「元気じゃなくても良いじゃない」て話があって、

これはすごく目から鱗だった。

「なぜ人は元気じゃない人を励ますのか?」
「天気のように晴れの日もあれば雨の日もある」

「励まされると落ち込んでいることが悪いことのように思えるじゃないか!」

すごくすごくわかる気がした。
盛り上がることだったり、元気や笑顔であったり、他者からすればよく見えることは、裏を返せばそうじゃない時は他者に見せられない顔になってしまう。

そういうことが積み重なると人は壊れる。

だから調子悪い時は、悪い。
無理に上げようとしないこと。
それが心を疲れさせない1番の方法なのかもしれない。

本当に良い作品なのでぜひよければ読んでほしいです。よければほんとぜひ、!

ダメと無気力はこうやっていきなり予告もなしに浸水してくるものだ
怖くなるけど慌てない
ジタバタしない
泥水に見えたその底は実は静かに澄んでいて
沈みきってしまえば
案外と息はできるものなんです。
『ちひろさん』7巻 第43話「不調ですがなにか? 」より引用

これを何度も自分に言い聞かせた。

不調が来ても、ジタバタしない。

きっと浮上できるときがくる。

そしてその通り浮上できたのでいま、ここに書いている自分がいます。

昨日の夜、久しぶりに死に方を模索した。

世の中に必要とされていない私はどうしようもなく怖くなって、
でも死ぬ勇気もない自分を他者から嘲られている気がして、消えてしまいたかった。

やっぱり遺書は書いておくべきなのだろう。

ただ今回もひたすら寝て、ひたすら漫画を読んで元気を分けてもらって、パートナーに泣いて打ち明けて、どうにか戻ってこれました。

いまは病気で、心が正常なだけじゃないんだ。

そう言い聞かせて

たぶん私が、万が一自分で死を選ぶ時は突発的な気がするから、その時はこのnoteで書いている記事が遺書代わりになるように、
なるべくたくさん思いを書いておきたいなと思ったりしているのです。

今回も読んでくださりありがとうございました。

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