新大久保 今、昔


#この街がすき

 わたしが生まれ育った街は東京の、山手線の駅で言えば新大久保です。昔は、山手線で人が降りない駅ベスト3には入っていたと思います。朝のラッシュ時や忘年会シーズンなど、新大久保の駅で降りるのには苦労しました。小さいときは、駅の近くにお菓子のロッテの大きな工場があり、駅に着くとほんのりガムの匂いが漂っていました。駅から小さな商店街があり、パン屋さん、八百屋さん、文房具屋さん、ラーメン屋さん、お茶屋さん、靴屋さんが並んでいました。裏道には、ラブホテルが並んでいました。
 今やゴールデンウィークや夏休みの街の情報に、コリアンタウンとして必ず特集され、修学旅行で訪れたい街になるなんて、夢にも思いませんでした。街が変わったのは、2002年のサッカーの日韓共催ワールドカップの頃でしょうか。どんどん韓国料理屋さんが増えていきました。ワールドカップの試合中継の日、新大久保の街を歩いていると、歌舞伎町の方から「テーハミング」の大合唱が聞こえました。真昼間にです。みなさん、新大久保を目指して叫びながら歩いてくる情景を目にしたとき、この街は何かが変わってきていると実感しました。
 今や駅からの大通りや裏道は、韓国料理屋さん、韓国コスメのお店でにぎわっています。まさか、歌舞伎町に通じる細い裏道の、元がラブホテルがばかりだった通りが、今やイケメン通りと呼ばれるなんて嘘みたいです。街の可能性を感じます。
 ここ10年で、ネパールやインドやベトナム料理のお店も増えました。新大久保駅の近くには、イスラム教徒向けの食材、ハラル製品を取り扱うお店や料理屋さんが集まり、ついにはイスラム横丁と呼ばれます。
 まるで海外旅行に来ているようにいろんな街の文化や料理を体感出来る街、新大久保。でも、ふと路地を入れば昔ながらの銭湯や食堂や住居にも出会えます。
 わたしは今、秋田に住んでいます。自然豊かですが、昔からの人間関係の濃さにつかれることが、たまにあります。そうすると、新旧、混沌とした新大久保が無性に懐かしく、恋しくなります。ただ、雑踏の中にたたずんでいたい。忍び込みたい。出来ることならば、人生のしまいは新大久保で閉じたいと夢想することもあります。わたしにとって、新大久保はそんな街です。思い出の断片がそこかしこに散らばっているし、新しいものはたくさん生まれているし、飽きません。魅力ある、大好きな街です。

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