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近況。

10月24日夜
21時過ぎに帰宅して遅めの夕飯を弁当を食べる。
これを書いてるデスクで同じように食後にPCでニュース番組を見ていた。
その後、片付けをするかと弁当のガラをキッチンへ運ぶ際に、今までに経験したことのない目眩に襲われ、急に左半身に力が入らなくなり、ガラを抱えたまま床にゆっくりと倒れる。これはやばいと一瞬焦ったが右半身で這いつくばりスマートフォンを手にとって救急相談ダイヤルに発信した。
ダイヤル番号を検索中に自分の身体状況を確認して、どうやら左半身だけが動かないと確認し、状況を電話先に伝えた。あとから考えれば、即時119で良かったのかもしれないと思いつつ、電話先の相手は愛想の無いルーチンワークで「では救急車を手配します」と話が運び、その最中に麻痺は回復したので、「一旦状況が収まったので、再度起きた場合はかけます」と大事になりたくないという気持ちに押されて電話を切った。おおよそ10分程の間だったと思う。
片付けが終わり入浴を済ませドライヤーで髪を乾かしている状態で再度、発作が起こり左側の反応がなくなった。ひとまず母親に連絡をし状況を伝えると、冷静に話を訊いてる声色にも心配が伝わってきたので、救急車を呼ぶことにした。生命保険付帯の保証もあることをそこで思い出し、救急車を待ちながらWEBで保険内容を確認した。
自らのことながら身体の異常よりも金銭の都合を心配するのは非常に情けないと思いつつひとまず救急車のサイレンが近づいてきたので表に出て、手をあげて合図をした。
その時点で23時頃だったと思う。
救急車両に自ら足を運んで救急隊員との状況確認と血圧の測定などしながら上記の内容を一通り伝えた。

近くの総合病院に運ばれ緊急外来にて映像でみたことがあるような処置室に運ばれ、ストレッチャーに自ら横たわる。1時間前後、医療機器を取り付けられてチェックをしている間に再度、半身麻痺がでる。
その時点で一過性脳虚血発作だろうという予測になりCTスキャン、MIRと検査が続き、MIRの結果は早期段階のため画像診断がうまくできないとの説明を受けたがおそらく虚血発作であろうということ。深夜2時頃、病室に運ばれる前段階で担当医師と入院のことについての説明を受けて同意する。
翌日もMIRの磁気が強いタイプで再検査をし脳梗塞の痕が左半身制御部に関わる神経系に診られるとのことで脳梗塞と診断。

そこからは口径摂取、点滴など療養。
発作が起きては危険なためSCU(脳神経集中治療室)でベッドから降りてはいけない状態ですごしていた。尿は尿瓶。「便はどうしたいいか?」と問うと同様に瓶にとのことで我慢は良くないことだが、便意は退院前日まで我慢した。ベッド上での生活で一番つらかったのは同室の高齢で重度な患者が日々うめき声を上げ、夜はいびきと各種ナースコールが鳴り響き、心電図の音声が耳に入りまともに寝付けなかった。担当のナースは毎日変わり、優しく声をかけてくる。その中で他意は無いだろうが、「若いんだから」や「美味しいもの好きでしょ」などハラスメントとは言わずとも気遣いのつもりの悪意を俺に向けてきた。
「へへへ」と笑ってごまかすだけだったが非常に辛い思いをした。
食事は減塩食で2日目の食事で慣れたので満足には至らずとも苦では無かった。主治医はもう1週間は入院して様子を見たほうがいいというが、金銭的なことや生活もあるので経過が良ければ早めに退院をしたいとつたえ計6日間入院期間を経て退院した。退院日に点滴が外れ院内のシャワー質でシャワーを浴びる。髭面を解消してさっぱりとした。
今後の予定を主治医と相談し、投薬や経過観察はかかりつけ医に紹介状を各たちでMIR等の検査は当院でとの話でケリが付いた。

結論から言うとアタリマエのことだが生活習慣が起因することと、
血族にも同様の症状でなくなった人が2名いるため、遺伝的な部分もあると言う。遺伝的要因は私を気遣ってのことなのだろうかわからないが、一定のエビデンスがないとそういうったことは言わないであろうから本当なんだと思う。
なるべくタバコをやめるようにということと、食事に気を使えとの事だが、
まるで出来ていない。決して死に急ぎたい訳ではない。
ただ日々の生活で幸せや喜び、感動を得られる瞬間がそこに集中しているからだ。きっとこの体質を改善すれば、その何れか以外のことも上手く昇華できるはずだというのに、鶏が先か卵が先か。

死んでしまえばこういった苦しみにも向き合わなくて済むと考えるけども、
決してそうとは行かないし、根腐れした感情を吐露することにも些か年齢を重ねすぎたので、此処に記す。

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