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酔っ払った今だからこそ

自分をどのように認識しているか?というのが、今後の行動を左右するのだと思います。あなたは自分を何だと思っていますか?

まじめ、誠実、愉快、聡明、明るい、陰鬱、and so on...

自分を自分で決めつけてしまい、自分の可能性を閉じ込めてしまっている人はいないでしょうか。生活していると、様々な制約があります。自分の能力や学力、親、親戚、通っている学校、成績、仕事、友達、収入、性格、体型、趣味、国籍、信仰、学歴、職歴、and so on...

「思い込み」って怖いです。誰がそんなことを決めたんですかと聞いてみてください。答えられる人はどのくらいいるのでしょうか?私の可能性は、私にもわかりません。当然あなたにはわかりません。

私の「可能性」を信じてみませんか。もしかしたら、今からでも何でもできるかもしれません。結果は変えられませんが、今より後に起こることは、誰にもわかりません。誰にもわからないからこそ、私が何か関われる可能性があります。やりたいことや、実現したら面白いなと思えること、社会の役に立ちそうなこと、とりあえずチャレンジしてみるといいのではないでしょうか。やってみて、自分の想像通りでなくても、自分を責める必要はありません。Try and errorで修正してより良いものを作っていくのが「今」です。誰も答えを知りません。「今」自体も刻一刻と変化していきます。

私が認識している「今」が一瞬後には違っているのならば、一瞬前のかつての私を変えなければいけません。環境の変化に柔軟に対応できることが、「今」の生存の秘訣です。変わりゆく環境に「私」はどのように変化させればいいのでしょうか。

ひたすら環境に合わせて自分を変化させていくのか。それとも、環境が変化しても「今」の自分のままを貫くのか。どっちがいいのかなんて誰にもわかりません。ただし、自分が認識できるのは自分の世界だけです。あなたの世界は私には理解できません。

もちろん私はあなたの世界も理解しようと努力はします。しかし、私があなたの世界を理解しようと努力しても、私が本当にあなたの世界を理解したと証明することはできないでしょう。それは、あなたの世界を覗くことが、私にはできないからです。

結局は、あなたも私も、自分で自分を理解しようと努力して、その結果わかったことを信じるしかないのです。それが正しいかどうかは、おそらく誰にもわからないでしょう。

自分は何なのか、多分「私」にもわかりません。だったら、自分に自信を持ってやってみませんか。あまりにおかしかったら、誰かが注意してくれます。注意されなければ、とりあえずは限度は超えていないということです。

自分の気持ちを大切に行動しつつも、その行動に対する他人や社会の反応にはきちんと耳を傾ける。そういったプロセスを通して、私達は「自分の在り方」を学び、自分を変えていこうとするのではないでしょうか。

「酔っ払った今だからこそ」書いてみました。二日酔いにならないことを祈ります。日本酒、ワイン、スコッチのちゃんぽんしてしまいました。

おやすみなさい。Good Night.


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