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静かな街

はじめましての人に、

「先に言っておきますけど、私は基本的に人を信用していません。」

と、言われた。
会話開始5分くらいで。

それって、

「私は基本的にあなたを信用していません。」

と言われたも同じなわけだが、まあそうかぁ、そうですよね、と思う。

・・・

大きな川のほとり、わたしはその駅に初めて降り立った、と思ったのだが、どうやら初めてではなかったらしい。
たぶん、この近くの菖蒲園にむかし来ている。
誰と来たのか、いつ頃来たのかももう定かではないが、川沿いの緑地の菖蒲が美しかったことや、「駅前になんにもない街だな」と思ったことを思い出した。

本当は今日、初めて会うその人に「駅前の○○でお茶でも飲みながら話しませんか」と提案しようと思っていたのに、駅前には見事になにもなかった。
ドトールもマックもなにもない。狭い路地と家があるだけである。

果たしてここは東京なのか?昭和にタイムスリップした?と思ったが、そういえば私が育った街にもそんな駅があった。
京浜急行の新馬場という駅。品川駅からたったふた駅だが、昔もいまも駅前にはなにもない。
いくつかのお寺と神社と、小さなお花屋さんがあるだけだ。人通りも少なく、静かな街だ。

東京の地味めの私鉄の、各駅停車しか止まらない駅というのは案外そんなものだったなと思い出す。池上線にもそんな駅があったよ。

私たちは仕方なく、ドトールでもマックでもなく、玄関先で直立不動のまま1時間ほど話をしたのだが、直立不動で人と話し続けるというのは案外疲れる。
初対面で、しかもお互いに気を遣いながら、気を張って話していた(直立不動で)というのもあったろう。
なにしろ人を信用しないということを宣言された上で、それでもその人と信頼関係を築こうとする第一歩の日だった。

帰り際、「ほどこしは受けたくない」と目を伏せて言うその人に、これはほどこしではないしわたしたちは対等です、と伝えた。
でもその人の、ほどこしは受けたくないという気持ちは、わたしにもとてもよく理解ができた。

・・・

帰りの電車に揺られながら、左足がわずかに震えていることに気づいた。
え、地震?と思ったが、違う、左足がカタカタとふつうに震えている。おそらく疲れで震えているのだ。
そんなことってこれまであったかな。
よほど疲れているんだ、まぁなにしろ直立不動だったしな、と他人事みたいに左足を眺める。

わたしは支援の仕事に向いているのかな、とぼうっと思う。
向いてないんじゃないか、とうっすら思いながら何年も続けているけれど。
向いてないんじゃという懐疑的な思いと、それでも続けていきたいというよく分からないモチベーションとが常にある。

大きなお寺がある駅で、爽やかな白い夏服を身にまとった女学生さんたちがたくさん乗り込んできた。
きゃっきゃっとお喋りしたり笑いあったりと、車内が一気に賑やかになり、空気がほどけた。
若くて、みんなとてもかわいい。

その光景を見ていて、ふと、

誰も信用していないということは、誰かを信じたいということでもあるんじゃないだろうか。

などと思った。