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憧れの楽器⑪ ~ブラボー!~

2023年の9月は、わたしにとって(我が家にとって)事件続きのハードでやばいひと月だった。

そのことについては、日記に綴っているのでそちらを見ていただくとして……

心が乱れ、不調が続き、なんとか日常生活をキープするのに必死だったわけだが、そんななかでもヴァイオリンのレッスンにはちゃんと通っていた。
「こんな乱れた気持ちでヴァイオリンを弾くのはむりだ…」とレッスンを休みたい気持ちもあったのだが、こんな時だからこそなにかを着実に継続することが、暗い気持ちの自分になにか良いものをもたらしてくれるのではないだろうか…と思ったのだ。

下手くそでもいい、とにかく行こう。

キャプテンは変わらずの笑顔、お元気である。

最近はレッスン室に入るとすぐにお召しものをちらっとチェックする。なぜなら、当初は「めちゃめちゃディズニーぽい雰囲気の方だな」と思っていたキャプテンが夏に入って和風の柄のお洋服を着ていることが増えて(※そもそもキャプテンはディズニー柄の洋服など一度も着ていないのだが)、今日はどんな…?というチェック項目がわたしのなかで生まれてしまったのである。
もちろんジロジロは見ません。

今月のレッスンで目にしたキャプテンのお召しものは、胸ポケットから忍者が飛び出しているTシャツ、そして胸ポケットからおさるのジョージが飛び出しているTシャツであった。
胸ポケット飛び出し系のシャツがお好きなのだろうか。
ジョージはぎりぎりディズニー感がないとも言えない。忍者は和柄だ。一勝一敗かな、と思う。
(なにがだよ)

・・・

さて、各線の練習はD線、A線、そしてG線に入り、肘を高くあげて弾くことや、それぞれの線を弾く時の肘の角度をしっかり意識すること、そして前にもでてきた「弦を移動する時のなめらかさ」(弓と弦が当たる部分の支点・力点・作用点を意識すること)を毎回のレッスンで言われることが増えた。

40代も半ばとなり、一度言われたことも、一週間も経てばすっかり忘れるお年頃である。

「この前お話した、支点のたとえがありましたよね」とキャプテンがアルカイックスマイルで口にするたびに、「しまった!」と目を見開いてしまう。忘れてました。ダメな脳です。ほんとうにすみません。

E線(もっとも高音の線です)にはまだ入っていないのだが、3つの弦が弾けるようになったことでよく知っている曲も教本に登場してきた。
「むすんでひらいて」「ちょうちょ」とかね。知ってる曲を弾けるのは、やはり嬉しい。

そしてそして、なんと前回は「荒城の月」が登場。
わたしのとても好きな曲である。
むかし、マンドリンアンサンブルのアマチュア団体をやっていたとき、藤掛廣幸の「荒城の月による変奏曲」というわりと長めの曲をコンサートで演奏したことがある。その曲でチラッとテレビにも出たことがあって、個人的にとても思い出深い曲なのだ。

ヴァイオリンで「荒城の月」を弾けることがとても嬉しいけど、まだまだ手元がおぼつかない状態で弾くのはとても難しく感じる。
本当はこんな風に弾きたいのに!という思いに技術が追いつかない。まぁ今はそうだよね~。

「この曲はどちらかといえば明るくよりもしっとりと弾きたいですよね。情景が浮かぶような感じで…」

と、キャプテンがご自分のヴァイオリンを手に取って、お手本の演奏を弾きはじめた。

それがもう……
すばらしすぎたのですね…

お手本として弾いてくれているのに、わたしはもはやただの観客になった。
想像してください。
狭いレッスンルームの至近距離、目の前で、めちゃめちゃ上手な方がわたしのためだけに「荒城の月」を弾いて下さっている…!!!
なにこの贅沢な時間は??
神がくれた冥土のみやげタイム??
わたしはもうすぐ死ぬのかしら?

キャプテンの弾く「荒城の月」はほんとうに美しく、悲しく、哀愁に満ちていて、わたしの眼前には春のおぼろな月とその下にそびえる会津鶴ヶ城がありありとうつしだされたのである。

春高楼の花の宴 めぐる盃かげさして
千代の松が枝わけいでし 
むかしの光いまいずこ

秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて
植うるつるぎに照りそいし 
むかしの光いまいずこ

「荒城の月」

「荒城の月」って会津鶴ヶ城、戊辰戦争が舞台だった気がするのだけど、違ってたらごめんなさい。
でも、わたしに見えたのは幕末の会津の春の夜だった。まだちょっと肌寒くて、盆地に吹きおろす風が春の匂いをはこんでくるような。

弾き終わると、「これは練習のためのお手本だ」ということをすっかり忘れた観客のわたしは、持っている楽器そっちのけで割れんばかりの拍手をした。スタンディングオベーションである。
(もともと立ってたからね)

「すごいです!!!!!」

と言いながら惜しみない拍手を送る。
本当は「ブラボー」って言いたかった。
わたしの左右には、土井晩翠と滝廉太郎(私が作り出した幻影)も一緒に拍手をしていたと思う。

キャプテン、恥ずかしそうに「アハッ、ありがとうございます」と楽器をおしまいになる。
アンコール…アンコール…と言いたい気持ちを抑えつつ、余韻にひたりながらレッスンを終えたのだった。
なんかもう、この贅沢な演奏のためにレッスン代払ってるとしてもなんの文句もないよってくらい、初めて味わうすばらしい瞬間だった。
プロってすごいんだな。
あんな、サラッと弾いていても音が豊かで、情感がこもっていて、人を感動させられるんだもんな。

まるで心と楽器が繋がってるみたいだった。
あんな風に曲を弾けるようになってみたい。

GW明けに思いつきと勢いで始めてしまったヴァイオリンだけど、4ヶ月目にはいって、いつかはあんな風に豊かな音で弾けるようになりたい!という芽がポコっと開いた夜だった。

そのためにはともかく練習、練習、そして継続である。
継続することだけはわりと得意なので、あの春の夜の月(見えた気がする光景)を忘れずに続けていこう。脳がアレなのでいろいろ忘れながらだけどもね。