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なぜかの川越

年末も年末、なぜか川越にいる。
川越のせまいビジネスホテルに宿泊している。
なんでだ。
でもすごく快適である。

さかのぼって昨日、
ドタバタとしていた仕事がなんとかおさまった。
そして新しくチャレンジしているほうのお仕事のOJTも昨日の夜にあったのだが、これもなんとか緊張しながら終えることができた。

さて29・30日がぽかんと空いた。
あれ、何もすることがない。と思っちゃったのだ。

なくはないよね。
大掃除とか。ただ我が家はちょこちょこと中掃除をしているためそんなに大掃除をする場所もない、そんな気がする、そんなように思っているだけかもしれないが、とにかくそこまでの大掃除の必要は感じない。
で、年賀状もいちおう書き終えた。

娘に「ねぇねぇ、近場でいいからどこか一泊しない?」と誘うと、「じゃあ埼玉の川越ってとこに行かない?」と言われたのだ。

なぜ!川越?

「たかぎさんが漫画に描いてたの。お芋のおいしいお店とかがあるんでしょ」

たかぎさん。
それは娘が大好きなエッセイ漫画家さんの、たかぎなおこさんだ。
たかぎさんがグルメ旅関係のエッセイ漫画で川越を魅力的な描いていたのらしい。だから行ってみたかったという。

川越かー。そういえば行ったことない。
というかこれまでの人生、埼玉県自体にそんなに縁がない。
川口に仕事で何度か行ったことがあるのと、恩師に会いに一度だけ浦和へ行ったのと、EXOのコンサートでさいたまスーパーアリーナへ行ったくらいじゃないか?

調べてみたら、川越まで電車で1時間半で行ける。
ホテルも調べたら空いてた。
小江戸川越、ひょいっと行くにはちょうどいいかもよ。

というわけで、いま、こうして川越のビジネスホテルでこれを綴っているわけである。

「どこかに行きたい」と思ったのはもう一つ理由がある。
新しいチャレンジのほうのお仕事が、まだ研修中なのであるが、これがなかなか大変そうで、すこしくじけている。
すこしじゃなくてけっこうかもしれん。
思ってたよりなかなか研修も厳しく、業務自体も繊細な内容で神経を使うし、これわたし大丈夫?ねぇ大丈夫?と自信をなくしてきているのだ。はやい。はやいですがね。
「舌が痛くなるほど不安が高まったら辞めよう」そう決めているのだが、まだいまのところ舌は大丈夫。でも気持ちがねー。凹むよねー。

川越にやって来てもしばらくはそんな感じでどんよりしていたが、それでもやはり、場所が変われば少しは心も換気ができてしまうみたい。
ぶらぶらと小江戸川越らしい古い街並みを散歩して、お店を見たり、買い物をしたり、さつまいものものを食べたりしてるうち、そして、
いま、狭いビジネスホテルでちょっと心がゆるんできたのを感じて、ほっとしているところ。

西武新宿線、たまたまドラえもん電車。
さつまいもミニ懐石、ぜんぶさつまいも
デザートももちろんさつまいもアイス
厳しい顔をなさっている「いもダルマ」
古民家カフェ的なところで紅茶をいただく
これは……
思わず買わずにおれなかった湯呑み

今晩はゆっくり眠ろう。
明日は東京に戻って、大みそかの年越しそば用の鴨肉をちょっといいお肉屋さんで買ったり、お雑煮の出汁をとるちょっといい昆布を買ったりして、そうして自宅に戻ろう。

それにしてもほんと、自分自身に言うけど、あんた、くれぐれも無理はしてはいかんのよ。
無理だと思ったら撤退だ。
撤退はしても大丈夫なことなのだ。恥ずかしくもなんともない。
だから、気張りすぎなさんなよ~。
長い人生、そう長くもないのかもしれないけど、きっとまだちょっとは長めの人生なんだから、自分をつらくすることはやめるんだ。

・・・

「そら豆や 逢はねばいつか 遠き人」

わたしのnoteのトップページにある俳句です。

これ、実は、わたしの曾祖母である雪野さんがつくった俳句です。

雪野さんはわたしの母方の祖母の母であり、外交官夫人としてアメリカ暮らしが長かった洒落た人だった。
若い頃から俳句を趣味としており、句集も遺している(句集の解説を、駐在先で親しくなったという草野心平が書いてくれている)。

わたしの手元にあるその句集をたまにめくるのだが、なんだかいつも心動かされるのがこの句なのです。

そら豆や、逢はねばいつか、遠き人。

年末にあらためて思う。
会わなければいつか遠き人になってしまう。
いまはもう会いたくても会えない人もいるんだ。父にも、大好きだった祖母にももう、写真でしか会えなくなった。

新しい年。

2024年は、今年の後半みたいにいろいろつらくないといいなと思うし、会いたい人に元気に会える年になるといなと思う。

会いたいね。
だから、みんなもきっと元気で。
つらくなったら撤退。これ、来年の隠れテーマです。

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