自然農法とサムシング グレート
自然農法とサムシング グレートに
共通点があると思いました。
サムシンググレート、
( 直訳すると、何か偉大なもの)
遺伝子学の最先端では
今や細胞を作れるそうです。
ただ、どうしても謎が解けないことが
あり、それが『命』のようなものだそうです。
科学の力を総動員すれば、
細胞は作ることができる。
でも細胞を作っても、動き出す源が作れない。
その電源のようなものが、
命か神と言うしか表現できないそうです。
ただ、科学者の立場から、
スピリチャル的なことは言えない、
そこで生み出された言葉が
「サムシンググレート」
だそうです。
村上和雄先生が、遺伝子の話で
詳しく本を書かれておられます。
ここでは割愛しますが、
自然農法の中に
サムシング グレートを感じることが
何度かありました。
身近な例でいうと、
虫食いの大豆から大量に実った、丹波
黒大豆。
育ちの悪く、枯れるだろうと思って
庭に植えた
トマト。
そのトマトが、畑のトマトより大きくたくさん実ったこと。
カビが生えて、庭に捨てた梅の種、
それが成長し、
7年目にして花咲き梅が実ったこと、
まだまだ他にもたくさんありますが、
どう考えても、説明がつかないことがたくさんあります。
勝手な想像ですが、
植物には命や意識のようなものがあり、
蒔いてくれた人に応えようと
育ったのかも知れません。
普通は、育ちの悪い苗、
選別で外れた種、苗などは、
廃棄処分されます。
私の場合は、捨てるのではないけれども
庭の空いたスペース、
洗濯物を干す物干し竿の
付近などに、移しました。
育つとは思っていません。
ただ、植えた場所は、
毎日、特に意識はしていないにしても、
視界に入るところでした。
洗濯物を干すときに、チラッと見えるところに
植えた、いわば
後発組の不良野菜です。
日当たりは良いですが、
土は特に良いわけでもありません。
借りている畑の土壌の方が、環境はずっと良いはずです。
それでも、畑の野菜よりも
庭の後発組の野菜の方が
よく育ちました。
不思議でした。
普通に考えれば、
おかしな結果です。
理由は不明ですが、
何度も似たような例を経験すると、
不思議な力が植物にはありように思えてなりません。
波動転写の話を思い出しましたが、
普通の人に通じる話ではありません。
ただ、波動学の本では、
人の波動が
植物に伝わって計測できた例が
紹介されています。
出来事は、科学で証明・説明できないと
世間では認められないのはわかります。
ですが、科学と何か不思議なもの
との境界線に近い、波動学で証明はされています。
何か不思議なもの「サムシング グレート」なるものが
植物にあるのは否定できません。
不思議なことですが、
はっきりとわかりません。
おそらく福岡正信さんが、
自然農法農法を始める
きっかけとなったことは、
「サムシング グレート」のような
ものを見た、感じたからだと想像します。
だからこそ科学を否定、
知恵・知識を否定しているのかも知れません。
とは言っても、
本で自然農法や
哲学が伝わるかは別問題です。
実際に生き物や自然の力を間近で
見ないかぎり、わからない
世界のようなものです。
自然の偉大な力、
可能性は人間が支配できるものではない、
と言ったところで、ピンとくる人は少ないと思います。
なぜなら、本を読んでも
実戦しているわけではないからです。
思うに、砂漠が緑になるのを間近で
見たからこそ、
タンザニアやインドで
自然農法が広まっているのかも知れません。
本を書いたけど、
意味はなかった、と福岡さんは言われました。
となると、自然農法は単に野菜栽培や
農業という狭い世界ではない、
自然にふれ、
生き物を間近に見る、接する、
自然が作った野菜を食べる、
自然を尊敬するようになる、
など実戦することで見えてくる世界が
あるように思えてなりません。
その中に、健康や
生き方のヒントが埋もれて
いると想像します。
自然農法は自然や
生き物を生かす方法です。
実践すると、
自然に敬意が生じてきます。
そのため、除草剤や農薬等は使用する気すら起きません。
私自身はまだまだ修行中ですが、
自然農法を実践する価値は
偉大だと考えています。
一言で言うなら、
実戦こそ全て。
自然農法の中に
サムシング グレートのようなものが
あると思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?