足立美術館に行って
夫の郷里に帰省したついでに、と言うのは有名な美術館に失礼かもしれないが、足立美術館に行ってきた。
最近とみにテレビなどでもてはやされている美術館だが、帰省のついでに行けるような場所にあるなんて知らなかったのだ。
天気は悪かったが、雨のお庭も風情があるだろう、と出かけた。
そこそこの人出だったが、中が広々としていて鑑賞するのにはまったく問題なかった。
もしかしたらお天気が良くないのが幸いして、混雑も中くらいだったのかもしれない。
とにかく、ゆっくり快適に鑑賞できて満足だった。
本館大展示室では、秋季特別展として「日本画の開拓者たち」と「秋の横山大観コレクション選」という展示が行われていた。
「日本画の開拓者たち」は、明治~大正にかけて描かれた日本画の名画が並んでいるもの。
今見ていても、当時の画家たちが日本画の理想と発展を胸に腕を競ったのだろうな、という情熱を感じる絵ばかり。
そして、西洋画に比べてなんと繊細な美意識だろうかと感じ入った。
西洋画というのは、描く対象物(人)を「見えている通りに描く」、「自分にはこう見えているのだ」という絵を描く、と言う感じがする。
なんというか、画家の自我、自己主張が強く感じられるというか。
だから見る側として、絵(作品)そのもの以前に画家に対しての好き嫌いというのが割とはっきりあったりする。
でも日本画は、いかに美しく描くか、という感覚がまずあって、描かれているように感じる。
「美」というものをいかに表現するか描き出すか、という感覚の上に成り立っている絵、とでも言おうか。
その上に若干の個性が加わって、画家ごとの違いが出ているように思う。
そのような、「まず美しく」という大前提こそが、日本人の民族的個性にあるような気がする。
繊細で流麗な線で美しく描かれる「少女漫画」というものが日本発で世界に広まったのも、その延長線上にあるような気がする。
自分では絵の描けない素人感覚の感想なので、「全然違うよ、何言ってんの?」と思われるかもしれないが、ご容赦。
まあ、数々の美しい日本画を見て、私はそんなことを感じたのだった。
そして、そういう日本画の中でも突出した個性があったからこそ大きな評価を得たのが横山大観なのかな、と。
有名な「紅葉」や「神国日本」を見ることが出来たのは感激だったが、繊細さが先に立つ日本画を数々見た後に見ると、異端とまでは行かずとも当時としては先鋭的なものだったんじゃないかなと思った。
本館には魯山人館というのがあって、名前だけはよく知っているけれど実は全然しらなかった北大路魯山人の作品の数々を見ることができた。
そして、なるほどね~、と思った。
なんというか、色柄に「これ、見たことある!」という陶器が多いのだ。
「こういうの、うちにもあったな」という。
もちろん、魯山人のものがあったわけはなく、きっとそれ風の食器が数多く作られて、わが両親もそれ風のものに心惹かれたんだろうなと。
これまた、西洋のマイセンやロイヤルコペンハーゲンなどと対を成すような日本の日本らしい食器、なんだろう。
なんだか総体的に、日本のものばかりみたことで西洋との違いがかえってよく分かったようで、面白かった。
そして私はお土産に絵葉書を1枚だけ買った。
それは、数ある日本画でもなく横山大観でも北大路魯山人でもなく、通路に展開されていた「童話コーナー」で見つけた武井武雄の「読書会」という絵。
秋の夜に(というのは色合いからのイメージかもしれないが)虫たちが集まって思い思いに好きな本を読んでいる、それだけと言えばそれだけだが、なんだかほっこりしてとても癒された絵だった。
きっとこの虫たちは種類はちがっていても仲良しの友達なんだろうな、とか、このひとときをみんなで楽しんでいるんだろうな、とかそんな、心休まるイメージがこの絵からふわっと自分の中に入ってきたのだった。
この絵は見えるところに飾っておこうと思う。
疲れた時にきっと心を癒してくれるだろう。
世界から絶賛されているというお庭ももちろん素晴らしかった。
帰省した折にはぜひともまた訪れたい。
空いてそうな時を狙って行って、お庭の見えるカフェでお茶できたらいいな。
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