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私はどうやら「母としての分人」が強いらしい。なるほど。

「子どもが小さいうちは仕方ないよ。大丈夫大丈夫!」
って言われてきたことで安心していた。

・本当になんの制限もなくなったら自分がやりたいことって?
・理想の1日のスケジュールは?
・〇年後は何してる?

こういった問いはすべて「自分」を主語にして書き出すべきである。
とは分かっていても、どうしても娘たちのことが頭をよぎる。
そう告げると、言われるのだ。
まだお子さん小さいもんね?仕方ないよ大丈夫。気にしないでいいよ。
って。

そっかそっか。よかったよかった。
とそれ以上の思考を放棄していたけれど、「自分が」やりたいことで溢れている友人は、うちの次女よりもずっと小さい赤ちゃんを育てている。
もちろん彼女も子どもたちをとても大切にしているけれど、それとこれとは別である。
彼女が母親であることを蔑ろにしているわけではない。到底そうは思えない。
個性だな~と思っていたら、彼女に言われたのが
「アヤノさんは母親としての分人が強いんだね」
である。


私の母親は、昭和の母らしく、まさに滅私で母親をやっていた人だ。
母が母親以外であったことは子どものころの記憶を18年間思い出しても数えるほどしかなく、それは私にとって反面教師となっていた。

だから私は!母であっても自分の人生を大切にしたい!って思っていたのに!!!結局私も母と同じ道をーーー!!!
とは、思わなかった。

なるほどね~。母親の分人が強いのね!そうかも!納得納得~!!
ってな気軽さである。

私の発信内容などから総合的にそう思ってもらったようで、そういえばオンラインから繋がった人たちからも夫婦仲がいい・家族仲がいいよねという印象を持たれていたことを思いだした。

自己理解が進んでいないから「自分」の発信ができていない、というのも大いにあるような気もするけれど、母としての発信を作っていたり無理しているということもない。
ごく自然にやっていて、こうなっている。

分人思考という考え方は知っているけど、自分がどれだけどんな分人を持っていて、どの分人に居心地の良さや悪さを感じ、どの分人の比重をこれからの人生で大切にしたいかなんかは考えたことが無かった。

ざっと頭に浮かぶ私の分人はこんな感じだろうか。
・妻として    :夫との関係
・母として    :娘たち&夫との関係
・ママとして   :娘たちを介して会った人たちとの関係
・のののとして  :noteやvoicyで見せている私
・私として(インスタ):インスタで見せている私
・私として(旧友):大学までの友人との関係
・私として(最近):最近できた友人との関係
・私として(仕事):今の仕事で見せている私、最近に近い


夫にはどの分人も見せられるけど、のののとしてを見られるのはちょっと恥ずかしい。
ママとしての分人で接している人にインスタやnoteは見られたくない気持ちがある。
最近の自分が一番心地よいけど、それぞれの居心地の良さは感じている。


ここをそれぞれに深堀りしてみるのも面白そう。
自己理解って奥が深すぎない?

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