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街頭募金と缶チューハイから雑に思考する

街頭募金が苦手です。
何故だか暖かくなってくると見かける機会が増えるけど、季節に関わらず街頭募金が苦手。
苦手というより嫌い寄り。

募金自体は嫌いじゃないし、
災害時にはそれなりの額を寄付するし、
応援したいクラファンには積極的にお金を投じる。

でも、街頭募金に関してだけは、もう、意味が分からなくて。

「よろしくお願いします!」「「よろしくお願いしまーす!」」と声を出す制服姿の子たちと、それを30mくらい離れて見てるだけの明らかに先生然とした大人。
例えば高校生が10人、先生が3人、10時から15時まで2交代制くらいでやってるとする。
それであの箱に集まる金額ってどれくらいなのかな。
代わりにその13人が5時間、時給1000円でアルバイトをしたら65000円。
しかも現時点で都の最低時給は1113円です。72345円になったね。
それ、超えられるの?
で、途中に先生が「おーい、差し入れだぞー」とか言って飲み物やお菓子を買ってきたりして。

なんだそれ。意味ある???

大人がやってる募金に対しても顕著に思うこと。
同じ時間同じ場所でお掃除のお仕事とかして、それを全額寄付したらよろしいのでは?

ボーイスカウトみたいなちびっ子がやってるのを見るのはもういたたまれないね。もはや「募金しないなんて極悪非道人!」くらいの目でこちらを見てくるんですが、親に10000円ずつ入れてもらってくれ。
(こんなに呼びかけてもほとんどの人が募金をしてくれないっていう体験はそれなりに世の中の厳しさみたいなものを知れていいのか、とも思っている。)

と思っている自分のことを、かなり嫌なヤツだなと思っていた。
だって、「人のため」に自分の時間と労力と羞恥心を駆り出してあの場に立っているのだ。素敵な行為だとは思う、頭ではね。

ので、どうにか街頭募金に対して好意的な目を向けられないものかと。


話が変わるよ。
結局ビールが飲めないまま大人になってしまった私は、軽く飲むならチューハイかサワー。めっちゃ飲むなら迷わずワイン。
そんな1本はその時々の気分でジャケ買いするんだけど、このところはこれ一択。

プレスリリースを目にして「フードロス対策」「農家支援」というところに惹かれてスーパーで探した。
これが意外となくて、初めて手にしたのは旅先のイオン。

おいしいのよこれが。
甘すぎずすっきり、ジューシー。しかもパッケージかわいい。

それ以降優先して買うようになった。
お酒に於ては特定のお気に入りがないので、むしろ毎回違う新しいものに手を出しがちな私が立て続けに5本以上購入するなんて。
mottainaiのコンセプトがなければ起こらなかったこと。


なんでもないときに、この2つが急に結びついたのでもう少し話を聞いてくれ。

街頭募金が苦手すぎてね、ひと昔流行った「アイスバケツチャレンジ」とか「おにぎりアクション」をやってる人、それで盛り上がってる人がちょっと苦手だった。
3.11に検索すると1円寄付、みたいなものも、検索はするけど疑問に感じていた。

1RT、1検索につき1円なんて、そんなことしなくてもあなた様ほどの規模の会社にとってはポンと出せてしまう額なのでは?こんな大々的にプロジェクト打つだけでそれなりのお金かかってません?と。

でもね、氷結飲みながら気づいたんだよね。
これ、1円が大切なんじゃなくて、募金や寄付がメインではなくて、広報活動なんじゃないの?って。

記事を読んで知ったことをきっかけに氷結mottainaiを買う。
買う時に梨農家さんのことを思い出す。
冷蔵庫で見て思い出す。
飲みながらまた思い出す。
次にお酒を買おうかなって時にまた思い出す。そして次の購入に繋がる。

キリンビールの売上に繋がるのはもちろんだけど、それよりも、その先の梨農家さん、日本の農家全体、食品のフードロスにまで思考が及ぶ。
noteの記事1回読むだけだと、もはや1時間後に覚えているかも微妙。でも、それに対して自分自身で何かしらのアクションを行うと、そのワードや内容への認知の定着はケタ違い。
しかも氷結の場合は1回きりじゃないのがすごいところ。

もしかして、街頭募金もこっちなのでは??

集まる金額の多寡ではなくて、
(やらされだとしたら)子どもたちが何故自分たちが募金を呼び掛けているのかをその時間かけて身体に覚えさせる、
看板やのぼりやチラシを目にした人、よびかける声を耳にした人は、それまで知らなかったことを知る。知っていた人は思い出す。
そして認識する。

実際私も、高校生たちの前をかなり遠回りに素通りした5分後、電車のなかで彼女たちが声高に繰り返していた「あしなが 募金」のキーワードで検索をして、基金の仕組みを知ったりしたんだった。


あーーー。納得。なるほどなるほど。
新宿駅とかでワンちゃん連れて呼びかけてる人も、殺処分の実態を知ってほしいんですと言っていた。
プラカードを持ちながら原発がどうのと怒っていた。
全容は分からなくても、そういったキーワードで声をあげている人がいる、ということは今も私が覚えている。
それが本当の意義なのかも。

より多くの人に知ってもらうならSNSのがいいじゃん、とも思うから、もしかしたら街頭募金は今後減っていくのかも。
でも、自分が選ばずともaccidentallyに目や耳から入ってくる情報って実はでかい。

そういうことかな。
という自分的結論。


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