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最高に嬉しかったあの試合      (小学生)

皆さんこんにちは。お疲れ様です。
今回は小学生時代色んな試合があった中で一つだけ物凄く思い出に残っている試合をお話ししたいと思います。
その前にサッカーを始めたきっかけなどをお話したいと思います。
是非読んでください。


始まり。

自分は小学3年生からサッカーを始めました。
サッカーを始めた理由は水泳をやめたかったからです。サッカーをする前に3歳くらいから水泳を習っていて最初は楽しかったけど後々、友達と遊びたいのに水泳があって遊べないなどが結構あって嫌だった。嫌々やりながらも水泳は結構泳げてコーチとかにも凄く褒められてた覚えがあります。そのおかげで今でも水泳はサッカーの次に得意な事でもあります。(笑)
親が水泳をやめるなら何か習い事をしなさいと言われ、近所の友達がサッカーをやっていたのでサッカーを選びました。
滋賀県の桐原東少年サッカークラブと言うチームに入った。その当時は楽しくサッカーをやっているだけでプロになりたいとか思っていなかった。
チームも強いチームではなかったし、まず試合に勝つことすら珍しいくらいで弱小サッカーチームだった。なのでみんなで練習してる時は楽しかったが試合は勝てないことばかりだったのであまり楽しくなかった。


戻ってきた仲間と勝ち取った試合。

3年の時サッカーを始めて当時そのチームにいた
あおしという少年がいた。彼は足が学校で1番早く気持ちも強い選手だった。しかし、4年生になる前くらいにサッカーをやめ柔道を習うことになった。
でも、サッカーは好きで休み時間には一緒にサッカーをやったりする事が多く、いつも楽しそうだった。「サッカー部に戻ってきてよ」ともよく言った覚えがある。
それが叶ったかのように6年生の最後の大会
県選手権の少し前に柔道をやめてサッカー部に戻ってきてくれた。なぜやめたかはわからないがサッカーの楽しさが柔道を打ち砕いたのかなとか?思ってる勝手に(笑)
みんなも嬉しくて最後の大会頑張ろうとなった。
一次予選は4チームありその中で2チームが次に進める形だった。
最初の相手。五箇荘というチームとだった。
そのチームは滋賀県で凄く強いチームでそのチームの監督の息子が10番で身長が高く左利きの足が早くてパワーもあり1人で全員抜かれるほどの選手だった。もちろんその大会の前にも何回か対戦した事はあった0-5.0-7などで負けるのは普通だったしそもそも試合したくない相手だった。
でも、最後の大会だし五箇荘に勝ったらすごくいい思い出にもなると思い、その試合だけでも勝とうと選手とコーチで話あった。
試合前のミーティング。
コーチが相手の10番に柔道をやめ帰ってきたあおしがその選手にマンマークをするという戦術を言った。
コーチがそう言う戦術的なことを言うのも初めてでびっくりする部分もあったけどそうした。
試合が始まり、相手の10番を自由にさせないようにあおしは全力で戦い食らいついた。柔道でパワーも前より強くなったけど相手の10番は強く吹っ飛ばされるシーンも多かったが粘り強く戦ってくれた。
自分、他のメンバーで他のやつからボールを奪い、攻撃に繋げて前半に最強のチームから2点を奪うことに成功した。前半は2-0で終わり、帰ってきてみんなもびっくりしてこの試合まじで勝とうとみんなで声を掛け合い本当に一つのいいチームの雰囲気になった。逆に相手のチームを見ると監督の激が凄くこっちまで聞こえるくらい怒っていた。「なんであんなチームに負けてるねん」など普通に大きな声でみんなに聞こえたし10番の息子には頭を叩かれたりしていた。
気合いをさらに入れ迎えた後半。
戦術は一緒。マンマークで戦った。相手はさらにパワーも持ってきて、10番もプレーが物凄く荒くなりあおしも体に擦り傷や砂まみれなどになりながらもしっかりおさえてくれた。自分たちも協力して守備をしたり後半は守ることが多くなった。その後ラストの時間に別の選手に決められてしまい2-1となってしまったが結果滋賀県で弱小チームが凄く強いチームに勝つ事ができた。
色んな試合をしてきてあまり嬉しさを感じなかったけどその試合だけは全く違って涙が出るほど嬉しかった。
でも、残り2試合の結果は1敗1引き分けで予選敗退で大会は終わってしまった。五箇荘は他の2つに勝ち結果的に滋賀県で3位まで行った。
そのチームに勝ったって思うと今でも凄かったなって思います(笑)


読んでいただきありがとうございました。

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