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突然の別れ(中学生)

皆さんこんにちは。お疲れ様です
いつも読んでいただきありがとうございます。
今回は中学生の時のクラブチームのコーチとの
お話をしようと思います。
少し悲しい話でもありますが最後まで読んでください。


斎藤コーチ

中学生の自分は部活に入らずにクラブチームのサッカーチームに入った。FC湖東というチームで家からも近かったし、小学生の時そのチームのスクールにも入っていたのでその流れとコーチに来ないかと言われてそのチームを選んだ。
FC湖東からプロに行った選手は少なく
大本祐規選手(FC琉球)山本悠樹選手(ガンバ大阪)などがいる。
背番号は55番。その時は長友佑都選手がインテルで55番で戦っているのに憧れてその番号にした
周りのチームで強いと言えばSAISONやMIO滋賀などがあり自分の代ではプロになった人はいなかったが上手い選手が沢山いた。
そこで出会ったコーチとの話。
斎藤コーチという方が1年生チームのコーチになった。その前の年には3年生を主に見ていたらしく厳しいコーチと言うことを風の噂で聞いていた。
その通り練習は凄く厳しく、当時は選手の頭を叩かれたり、怒鳴られたりする選手も何人かいた。それでやめていく人もいた。
練習時間も長く2時間半トレーニングは普通だったし、2.3年生は練習終わってるのに自分達は普通に対人のトレーニングなどをしていて練習がなかなか終わらなかった。
今のような現代のパスサッカーのような止めて蹴るを教えてくれるようなコーチではなく、ドリブルや対人のトレーニングばかりだった。
練習の準備のところでも遅いと怒られることもあったし、移動などもダッシュでしていた。
試合でも負けるのは凄く嫌で負けず嫌いなコーチで相手のコーチと喧嘩したりなどもよくあった。
そんなコーチだからこそ褒めてくれた時は物凄く嬉しかった。
褒めてくれた試合を今もよく覚えてる。
1年生の最初の大きな大会。
自分は小学生の時DFでプレーしていたが中学生の時そのコーチの元でトレーニングを続けることでFWでプレーする様になっていた。
味方とのワンツーやドリブルで人を抜いたりすることが得意プレーだった。
大会でもたくさん点を取り順当にトーナメントを勝ち上がった。準決勝で強いと言われたMIO滋賀との対戦になった。その試合で自分は大活躍のプレーをした。相手をドリブルで何人も抜き味方をうまく使いゴールを奪った。結果ハットトリックすることができ、チームも最後まで守り3-0と自分のハットトリックでチームを勝利に導いた。
終わった後、斎藤コーチに「ナイスプレー」と言われた。具体的にではなかったがその言葉だけでも、ものすごく嬉しかった。
そこから決勝に進み相手はSAISON。
自分の代では間違えなく1番強いチームだと思っていたし、必ず決勝で勝ちたいと強く思っていた。
戦うとSAISONは上手く強く、点を奪われ0-1と苦しい展開になった。後半残りわずかで味方とのワンツーでボックス内に入りシュートを打ち自分のゴールで1-1になり、延長戦まで行った。
しかし、体力もきつく、SAISONのプレーにやられ結果1-2で準優勝で終わった。
斎藤コーチも凄く悔しそうな顔をしていたのを覚えている。また次の大会頑張ろうと思った……


突然の病気

大会が終わり、厳しい練習は続いたが少しずつ成長をしていき2年生になって少しして、斎藤コーチが練習に来ない日々が続いた。最初は何かあったのかな?ぐらいで何も気にしていなかった。その時は違う若手のコーチが練習を見ることになってトレーニングをした。
しばらくして斎藤コーチが練習に帰ってきた。
すると練習を見る時椅子に座り、拡声器を使って自分達に指示してきた。
斎藤コーチは食事の面で問題があり、栄養が上手く取れず病気を持つことになってしまった。
体が苦しいし、薬で髪の毛も無くなってしまう斎藤コーチを見るとびっくりしたし、その中練習に本当に来ても大丈夫なのかなと凄く思った。
それでも熱く厳しく練習に本気で向き合っていただきチームとして、個人としても成長していった。


ありがとうございました
斎藤コーチ

全力で向き合っていただいた斎藤コーチも病気は治らない一方でどんどん悪化していくばかりで練習にも来れなくなってしまった。
少しして自分が学校で休み時間の時。
放送がなり「野々村鷹人君、職員室からお電話です」となった。
向かうとお母さんからの電話だった。
1番聞きたくない事を言われた。
「斎藤コーチが亡くなった」
嘘だと信じたかった。

しばらくして、斎藤コーチのお葬式が行われた。
自分はその当時もそうだし、今もお葬式に行ったことが有難いことにない。おじいちゃんやおばあちゃんなどもみんな元気でそういうことに立ち会ったことがなかった。
斎藤コーチのお葬式、斎藤コーチが眠っている棺桶にお花を置く時涙が止まらなかった。
怒られることも多く、練習もハードだったけど学ぶことは多く、中学生卒業するまで教えてもらいたかったです。
そしたらまた違う道だったかもしれない。
苦しい中練習に来てくださって自分達の成長のために最後まで指導してくださったこと今でも感謝しています。

最後に、斎藤コーチ
プロサッカー選手になりました。
これからももっと頑張ります。
空から見守ってください。。



読んでいただきありがとうございました。

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