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外部装置で自己を定義づける

 なんとなーく観てしまうアニメ『攻殻機動隊 S.A.C.』。もう何度も観ているアニメだけど、作中で語られる言葉に時代遅れの古臭さはなく、むしろメタバース、Vtuberというデジタルコンテンツがめきめきと力を付ける現代にこそ必要な、的を得たメッセージは多い。作中でも紐解かれる『スタンドアローンコンプレックス』は空想上の現象などではなく、近い将来インターネット社会で起こりうるであろう現象の1つだと僕は思う。いや、もう既にどこかで起こっているのかもしれないが……。

 近頃はVtuberの存在についてやデジタルな世界に関する文献を読み漁っていたこともあってアニメの内容がすんなりと頭に入ってくる。いま、頭の中を占めている情報と結びついて楽しい。世の中にはインプットするべき事柄が無限にあり、取り入れる情報にも『ここぞという時』があることも思い知らされる。

『攻殻機動隊 S.A.C.』の世界では『義体化』と呼ばれる身体の一部を人工物、機械に置き換える技術が確立されている。五体満足の人間であっても能力の向上のために身体の一部を義体化する。なかには全身に義体化を施す者(サイボーグ)もいる。

「刹那に過ぎる時間のなかで、自分という個を特定しうる証拠を記録しておきたいからこそ人は外部記憶にそれを委ねる」

攻殻機動隊 S.A.C.

 主人公の草薙素子へ向けた言葉だ。草薙素子は世界でも屈指の義体使いで前述した全身義体化のサイボーグだ。幼少のある時から代謝の必要としない身体を得た草薙素子は、心身の成長とともに義体を乗り換えてきた。この台詞は義体を乗り換えることによって引き起こされる自己という存在への不明瞭を外部記憶装置、ここでは腕時計に頼ることを肯定している。

 僕たちの世界では3Dモデルや2Dアバターで可愛い女の子やカッコイイ男の子に変身する手法がある。仮想世界の身体(アバター)を纏うのは攻殻機動隊でいうところの義体化に近い。

 こう考えることがある、仮想世界にあるもう一人の自分、アバターこそ外部記憶装置としての役割を担っていて、変身することで自分という個をアバターを通してインターネット上の仮想世界に記録しているのではないか。汗を掻き、排便をして、ひたすらに新陳代謝を繰り返す僕たちはまばたきをするだけであっという間に老化していく。自分が自分であった瞬間さえもまばたきの暗闇に溶けてわからなくなる。自分という存在を定義するため、仮想世界で呼吸する身体に自己を委ねるのではないか。

 しかし『仮想世界の姿』を単なる記憶装置として位置づけることは破綻した考えにも繋がる。外部記憶装置に自己を定義づけるだけの役割を求めるのなら、そこに自己表現という枠はなく、読み込みが可能なだけのモニュメントでしかない。

 実際には『仮想世界の姿』と現実世界の自己は不可分で切り分けることは難しい。できないこともないかもしれないが、それはやはり『自己を切り分けている自分』が働くため無理筋なような気もする。

 ややこしい話なうえに学術的な考えもない渦巻く思考という感じですが、せっかくなので公開します。


寿命が伸びます