なにも覚えていない

記憶力がそこらで飼われている犬猫よりも乏しいため、記事を書こうとするたびに「なんかこれ前も書いた気がするな……」と恥の記録を遡って書いたかどうか確認する作業をしている。私は多種多様な人格を有しており、それらの人格が自由気まま勝手に記事を書いている。ということにしているため書いた記憶がないのは当然なのだが、本当に身に覚えがない記事などがあったりするため油断ができない。同じ内容の感想文が書かれる日は近い。いやもうあるかもしれない。

書く力と文章を作る力が日に日に弱くなっている。元々文章を書くような人間ではないのだ。ペンを持つ時間よりも箸を持っている時間の方が長い。そんな人間が偶然書いた文章に光が指して、あれよあれよと流されるままに書いてきた。用意された言葉群は線と線で繋がれていて、それをただ綺麗に並べているだけ。色とりどりの文章には味がせず、噛んでも噛んでも唾液を吸うだけの舌触りの良いスポンジのようで。

朝4時の太陽はただ鬱陶しくて、開け放した窓から流れてくる風は身体を透き通っていく。Youtubeで流れている広告は別の国の言葉に聞こえる。フライパンから跳ねた油に手足が生えてどこかへと泳いでいく。ビタミン剤の入れ物を開ける度に病院の待合室が過って嫌な気持ちになる。壁の埃を手ではらって咽る。空き缶の袋を蹴っ飛ばして鳴るサウンドエフェクトみたいな笑い声。本の山を崩して遊ぶ、勝ち負けはなくて瓦礫の中から取り出した1冊で時間を潰す。

ナイーブな気持ちを書き出すには私は言葉を知らなすぎる。書いたところで砂浜に書き出した文字と同じく溶けて消える。

寿命が伸びます