封印されし者のベッド

1年ぶりぐらいに部屋の掃除をする。散乱したペットボトルとパルプ(本)を集めて寄せて、1年ぶりに再開した友人の顔めがけて掃除機を滑らせる。折りたたまれて山になった段ボールは最後の抵抗と言わんばかりにわずかな膨らみで存在感をアピールする。掃除とはなぜこうも面倒なのか。自分が撒いた種ではあるが育つことはない。ただ堆積していく。変化を好む人間がなぜ掃除を面倒だと思うのか、それは変化することのない物質と向き合うことになるから。生ゴミはなかったのが幸いだが、もしかすると生ゴミの1つでもあったほうが捗ったかもしれない。

元々折りたたみベッドを使っていたのだが、3年ほど前から突然地面を感じながら寝たくなってしまい敷布団を使っていた。薄い敷布団で腰と背中を痛めつけることに限界がやってきて、無事折りたたみベッドに回帰した。
座りっぱなしも身体に悪いが立ちっぱなしも身体に悪い。9時間立ちっぱというのは実に不健康だ。一流のアスリートたちでさえ動いた時間分休んでいるというのに。

元々ベッドで寝起きをしていた人間なのでベッドで眠る状態こそ本来の姿であり、この数年は異常事態だったと言える。もちろん敷布団には敷布団の良さ(二つ折りして背もたれに使うとちょうど良いとか)があるものの、やはりベッドの[眠るためのスペース]感は超えられない。敷布団はそれとそれ以外の空間が分かれていないような感覚がある。地面を背にして眠りたい、という意味不明な願望は意味不明ではなく、眠るための空間を拡大したいという願いからくるものだったのでしょう。いま、また眠るスペースをしっかり確保したいと思うようになったのは睡眠をしっかり取る必要があると身体が判断したからだろう。労働を頑張っている証拠だね。はやく新しい枕を買おうね。

寿命が伸びます