ムービー・オブ・ザ・デッド

私の映画史はゾンビ映画に始まる。いまはもう懐かしいレンタルビデオ店で新作落ち旧作品が10本で800円だった時代。私は床を這いずる屍に魅了されていた。二足歩行する屍たちは、ときに走り、ときに喋り、ときに狩りをして、ときに仲間を作った。

彼らは生者の血肉を欲した。若々しい女性に覆いかぶさりその美貌に躊躇することなく首筋に顔を埋める。今際の際の叫び声とともに持ち上げられた屍の顔は健康的すぎるほど赤いペンキで塗りたくられていて、力任せに破いたビニール袋のような皮膚と筋が屍の口元から糸を引く。

彼らは生者に撃たれる。血管が浮き出た剛腕の先っちょでL字の黒鉄が口をすぼめている。黒鉄のさらに先では屍が大口を開けている。屍はやはり生者の血肉にしか興味がなく、胡乱な顔つきとは裏腹に狩人の本能がただれた皮膚の内側に潜んでいた。屍が口いっぱいに芳醇な香りと贅肉を迎え入れるため吐き出した息が白い湯気を立てる。叫声に呼応してL字の黒鉄が、そのすぼめた口から炎に包まれた豆粒を発射する。放たれた豆粒は屍の眉間を貫き腐敗した脳漿と神経細胞、それと脂肪とタンパク質と……とにかく私たちが魅力を感じていた物質を壁一面にぶちまける。壁画の脳みそだったものに精神や魂なんてものは微塵も感じない。

彼らは生者を狂わせる。彼らの鳴き声は夏のセミや二軒隣りにある一軒家の飼い犬ではない。人の形をした私たちは言葉を紡ぐことが当たり前になっているせいで、言葉にならない声を発する屍を異常なまでに嫌悪する。
考える力を奪われて、彼らの脳天をかち割ることに必死になる私たちはすっかり頭を暴力で水浸しにされて、伝えなければいけないことも伝えられないまま肉片になっていく。

死屍累々が画面いっぱいに映し出されたときなど、もうクライマックスなんてどうでもよくなるほど興奮した。
黒黒とした眼窩、着崩れしたワンピースが持つ誰かの腕、生前噛まれて削れた頬から覗く血まみれの奥歯、屍の頭上で輪っかを描く二匹のハエ。

腐臭さえもわからない10代の半ば、私は画面越しの死人たちにひどく入れ込んでしまった。彼らの特異性に、哀れな生者に、不信心の世界に。
私はとてもとても、入れ込んでしまった。その入れ込み具合ときたら、ゾンビの祖ともいえるブードゥーについて調べて実践しようとするまで。

私の映画史はゾンビによって始まった。ロメロやスナイダーには頭が上がらず、足も向けられない。
数年、ゾンビ映画に没頭した。その後、レンタルビデオ店のゾンビ映画を漁り尽くした私は次なる獲物を求め、名作洋画コーナーへと胡乱な面持ちで向かっていく。

寿命が伸びます