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のの花だより8月号

夏は後ろからの風に注意


いよいよ夏も真っ盛り。夏バテせずに元氣に過ごせていますか?先月お伝えした「汗の内攻」について、大切なことなのでもう一度詳しく書かせていただきますね。


先月は発汗の効能のうちでも、食事や薬品によって体内に溜まっている「毒素の排出」という作用について説明しました。今回は汗のもうひとつの重要な機能「体温調整」という側面を考えてみたいと思います。



私たちの身体は北極圏に行っても赤道直下でも、ほぼ一定の体温を保ちます。死体ならすぐに外界と同じ温度になってしまうのに、生きている身体にはこのように神秘的と言えるほどの素晴らしいシステムが備わっているのです。


この機能を司っているのが自律神経です。外界が寒ければ、血管や毛穴を収縮させて体内の熱を逃さないようにし、暑ければ汗を出して体温を下げようとしてくれます。


かいた汗が自然な範囲でサラッと蒸発してくれれば、気化熱を奪って体表の温度が程よく下がってくれるのですが、エアコンなどの冷たく強い風で急速に引っ込んでしまうと、自律神経のセンサーは混乱してしまいます。



特に大切な血管や神経の集まっている首の後ろの汗を引っ込めてしまうことは危険です。肩や首の筋肉が緊張することによるコリ、脳への血流悪化から頭痛を引き起こすことがあります。


加えて、本来なら暑さを感じて体内の熱を汗で発散しようと働くはずの自律神経が熱の放出をストップしてしまうと、汗のかけない身体になって余計に熱がこもりやすくなったり、逆にいつまでもダラダラと汗が止まらなくて極度の冷え性になったりします。(かつての私です)

このような自律神経の乱れは、長期にわたって疲れやすさや、頭痛、めまい、生理不順、情緒不安定などを引き起こします。


昨今の夏は外は猛暑、一歩お店や公共交通機関に入れば冷房がガンガンという、自律神経混乱し放題の過酷な環境ですから、できるだけ首の後ろの汗を冷たい風で引っ込めてしまわないように室内に入る前に汗をよく拭き取っておくこと、ストールやフードのついた羽織りものを使うなど、少し氣をつけられると良いですね。


またクーラーの風向きに注意して、出来るだけ後ろからは風を受けないようにしていただきたいです。


どうしても職場で長時間冷房に当たる環境なら、家ではお風呂にゆっくり入り、蒸しタオルで首や目を温めるなどして、交感神経の緊張を緩めてあげてください。きちんとリセットしておけば、眠りの質も高まり、弾力のある身体を保つことができます。



このような自律神経の働きを考えると、この十数年で熱中症対策として普及した諸々の「首を冷やすグッズ」はオススメしません。

もちろん、その場限りの効能は、いくらでももっともらしい理屈を説明できます。しかも何ヶ月かたって病氣というほどでもない体調不良が続いても、通常それが夏に首を冷やし続けていたこととは結びつけられないのです。

冷却グッズに限らず、化学調味料に食品添加物、あらゆる薬や洗剤、農薬・・・。それらを売る商売を擁護するためには効用と安全性をアピールする御用学者が雇われて、彼らの情報は常に検索の上位に掲載されますが、近視眼的な浅知恵による対処が、長期的に見れば私たちの身体や環境にどのような影響を与えるのか、少し想像力を働かせたいところです。


人間は庇い合い、労り合う生き物


娘の夏休みの宿題に「人権作文」というのがあって、何だこりゃ?と思いました。小学生に人権って、一体何を基に考えさせるつもりだろう・・・と私の頭には、日本全国で起きている残虐すぎるイジメからの子どもの自殺や、パワハラ、今年日本でも公開予定の、子どもの誘拐と人身売買、性虐待の実態を描いた映画「サウンド・オブ・フリーダム」のことなどが次々と浮かびました。


小学生にこんな地獄のような世界の実態を知らせるのは好ましくないし、そんなとんでもなく悪い奴らが野放しになっている現実があるのに子どもにだけ綺麗事書かせても空虚なだけだろう、県知事と取り巻きがパワハラで人殺してるのに何が人権だよ、と反感を持ったんです。



そんなわけで私が「この宿題については先生に意図を問いただす、人権が守られる世界にしたかったら少なくとも家畜を食うのをやめろ(ここの仕組みはいずれ別の場で詳しく書きます)って説いてくるわ!」と息巻いていると、「やめて、そんなん言わんで良いよ〜」と止められました。


そういえば次女は去年この作文で何か賞をもらっていたりして、親がやや非常識でも子は勝手に世の中とのバランス感覚を養ってるのだなと感心します。



そうしたら一体何を書くんだろうなぁ、とぼんやり考えていたら、先日整体に来てくれた赤ちゃんのことを思い出しました。その日は長女もちょうど学校を休んでいて、赤ちゃんを可愛がって一緒に遊んでいたのです。



草食動物なら生まれてすぐに立ち上がるし、猿なども小さくても母親にしっかり捕まる力を備えています。


それに比べて人間の赤ちゃんは、随分と未熟な状態で生まれます。人間の赤ちゃんは全くもって、抱かれて世話をされるという前提で世界を信頼して生きているのです。


野口晴哉先生はこの事実から「人間はそもそもがお互いに庇い合い、労り合って生きるようにできている」と性善説を説いています。


このことを長女に語っていた時、彼女はどこで読んだか、昔の実験で赤ちゃんに栄養だけ与えて抱っこをしなかったら全員すぐに死んでしまったという話をしました。


いま生きているということは、どんなに嫌な奴であっても皆、必ず誰かに抱かれて守られて、大切に育てられた過去があるからこそなのです。だから大切でない、どうなっても仕方ない人など、この世に一人もいません。



以前「赤ちゃん先生」という活動をされている方々にお会いしたことがあります。これは、まだ月齢の低い赤ちゃんを小中学校、高校などに連れていき、生徒に抱っこさせたりして、命の尊さと誰もが大切な存在ということを体感してもらうような活動です。


様々なストレスから心がささくれていたとしても、ひとたび赤ちゃんの温かい命に触れると、よほど悪魔に取り憑かれているのでもない限り、誰かをいじめて楽しいなんて思えなくなるはずです。


そして自分もまた同じように大切な存在だということを思い出せたら、辛い場所からは逃げたり断ったりと、自分自身を守り、大切に扱うことが出来るのではないでしょうか。



手当て=愉氣は、庇い合い、労り合う生き物としての人間に、自然に備わっている技です。


整体の始まりは、百年前の関東大震災で被災した12歳の野口少年が、不衛生な環境で病氣になって苦しんでいたお婆さんに思わず手を当てたことでした。知識も技術もない貧しい子どもの、ただ人を労る澄んだ氣持ちが、相手の中の治る力を引き出したのです。


私たちは固い殻に包まれた個人がバラバラに無関係に生きているのではなく、互いに響き合い、感じ合っているひと繋がりですから、誰かを苦しめて自分は幸せ、とか、自分だけ我慢していれば周りは幸せ、などという状況は本来あり得ないはずです。


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