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【国際結婚 第2章-1】会いたい 葛藤と決断

※ 第2章では、2021年について綴っています。

※ 前回は、こちらから。

2021年になった。日本時間の1月1日0時に合わせ、
夫が自撮りのビデオを送ってくれた。

満面の笑みで、恥ずかしそうに

「おはよう。2020年は本当に毎日ハッピーだったよ。
2021年おめでとう!と最初に伝える人になりたくて今撮ってるよ。

今年は会えるといいね。」

夫は写真や動画が苦手。避けれるものなら避けたいと思うタイプだ。多少のぎこちなさが漂うビデオ。そのなかに、言葉どおり、私が新年のお祝いを最初に聞くのは自分からのメッセージであってほしいという気持ちを十分に感じた。

一方で、今年も会えないだろうな、そう冷静に感じている自分がいた。

100年前のスペイン風邪も終息まで足かけ3年かかっている。きっと無理だよ。


はじめてのプレゼント

1月中旬の週末、アパートのドアを開けたら郵便配達の人が立っていた。
「あっ、海外からお荷物が届いています。」と大きな箱を渡された。

「iherbも頼んでないしな、誰だろう?」夫からだった。
ボコボコになった角が潰れたアマゾンの箱。再利用が微笑ましかった。
さっそく開けてみた。

あ、そうだ。ビデオを撮ろう!

一緒に居れたらシェアできることも遠距離じゃできない。きっと私がうれしそうに箱を開けるところを見たら喜んでくれるはず!

携帯をセットして自撮り準備を始める。
角度OK!  被写体はともかく、サイズもOK!

演技ではなく、そのままの自分の反応を撮影しようと思った。

箱を開けるとき
梱包材を取り出すとき
大量のチョコレートを見たとき
箱からチョコレートを取り出すとき
カードを見つけたとき
カードを読む
そして、ありがとうを伝えるとき

すべての反応を2分間の動画に収め、夫に送った。
私の喜びを届きますように・・・

すぐに夫から返信が来た。夜中のはずなのに。
ちょうどトイレに起きたんだよ。

「チョコレート凍ったり、溶けたりしてなかった?」
「うん、大丈夫だったよ。また寝てね。」
「プレゼントを開けてる動画を撮るなんて、愛らしいよ。」

よかった。喜んでくれた。
間接的でもいい、瞬間をシェアできたことがうれしかった。

はじめてもらったカード ビデオからのスクショです

直接会う日まで

夫とのやり取りが毎日欠かさず続くなか、あることに気づいた。

そういえば、私たち、一回も電話したり、ビデオ通話してない。

自撮りの写真やビデオの交換は何度もしているけど、実際に話すことは一度もしていなかったのだ。今時、それはないよね。

後日、夫に言った。
「近々、電話かビデオ通話しようか?」

夫からの返答は意外にもNOだった。

「実際に話すのは、直接会う日まで待ちたいんだ。顔を見て直接話すこと、それをののこと話す最初の機会にしたいから。」

理由はふたつ。

夫にとってビデオ通話は不自然だということ。声が遅れたり、画面がフリーズしたり、実際に会って話す状態との差に違和感があるのが好きではないと。

もうひとつは、私と話すのは、実際に会って目を見て、不自然な状態がない巣のままで話したい。それまで心待ちにしておきたいんだと言われた。

何度か同じことを聞いたけれど、夫の返答は同じ。
待ちたいという夫に、無理押しはしたくはなかった。
それに、エンパスの私には人の感覚を受け取ってしまう繊細さがある。
感じてしまうから、夫の選択を尊重し判断は任せよう。

待つのではなく、委ねる。それが私の選択だった。
相手に準備が整ったときに受け入れる。それがベストタイミングだから。

実際に会うまでの16ヶ月間。本当に電話もビデオ通話もしない形で過ごした。
数十年前にはなかったテクノロジー。どこにいてもアクセス可能、ハンディな携帯で使える無料のサービス。それを使わないとは、なんと勿体無いことかとも思ったが、LINEのその他の機能を使い、長い文章には電子メールで交流を続けた。

「それって寂しいね。」「その人、本当に大丈夫?」と言う人ももちろんいた。
けれど、きっと夫の誠実さへの確信が、しょうがないね、まぁ、いいかとスムーズに諦めるきっかけになってくれたと思う。

家族に伝える

夫との付き合いは、親しい友人だけに話していた。最初に話したときは皆んな一様に、第一声は「えっ?」だった。まぁ、ずっとさっぱりだった私の人生だから、本人も同感。その反応に驚きはしなかった。

なかで一人だけ「その人としっくりきてるでしょう。」と返してくれた人がいた。そのとおりだった。夫とは最初から不思議なほど、しっくりきていた。意識が一体化しているような感覚。

地球の裏側にいる夫。物理的には離れているけれど、意識は一つのような説明できない感覚がいつもあった。無言で何時間いてもいられるなと思ったし、テキストを交換していても何時間でも続けられる。理由は本当にわからない。

2021年を数ヶ月過ぎたころ、いつ会うかという話をよくするようになり、将来があるかもと考えはじめた。そろそろ家族にも言わなきゃいけないかもね。

3月の終わり頃、まず弟に電話をした。弟とは大きくなってからも仲が良く、よく話す仲だ。

「あのね、実は付き合ってる人いるの。去年から。」

「えっ?」弟も友人たちと第一声は同じだった。声はもっと大きかった。
その後に言ってくいれたのが、
「ずっと一人が長かったんだから、いやー驚いたけど素直にうれしいよ。よかったね。」ありがたい言葉だった。

4月になり数日経ったころ、いつ話そうかと心が休まらないなか、やっと実家を訪ね両親に話した。私は父の背後、母の右横に座った。

「あのね、ちょっと伝えたいことがあって。実は去年から付き合っている人がいてね。」

その瞬間、両親が一斉に「えっ?」と私に視線を向けた。

「インターネットで出会った人で、去年の11月からずっと毎日欠かさずやり取りしてて、日も経ってきたから一応伝えておこうと思って。まだコロナがあるから会えんけどね。」

父は「そうか・・・そういう人ができたんか。ん・・・」
母は「おめでとう!よかったわ。うれしいわ!」両手を口元に当てて喜んだ。

母はいつもズレている。将来のことは考えていたけれど私は言及していないのに、その反応だ。

「まだ決まったわけじゃないぞ。」という父に「よかったね。」を繰り返す母。
まったく人の言葉を聞いていない。

話をしながら「あ、言わなきゃ、言わなきゃ。」と焦ったのが夫の国籍だ。
「そろそろ言おう。でも外国人と言ったら、なんて言うだろう。私はもういい歳。自分で決めてもいい歳だけど、どう反応するだろう。」

「あのぅ、で、その人、外国人ねん。アメリカ人ねん。」

父「えっ?」
母「あーわかるわ!あんたに日本人は合わんわ!無理!」スパッ!と言われた。

それ、どういう意味?確かに、良いか悪いか物事はっきり言うから合わない人もいると思うけど、無理ってどうよ?

相手がアメリカ人でアメリカ在住であることに対して、両親は何ひとつ言わなかった。私という人間を信用しているから、私が選んだ相手なら何も言うことはないと言ってくれた。

ありがたくて涙が出た。

悪いことはしていないのにドキドキして、心臓が口から出そうなほど緊張していた自分が解けた気がしたのを覚えている。

母はまだ繰り返していた・・・「ののちゃん、おめでとう!よかったね。」

インターネットで知り合ったことについても、「まぁ、そんな時代やからな。」の一言だった。案外理解のある両親に拍子抜けしたと同時に、関門をひとつ突破できたことに安堵した。

その日、夫に報告した。
「弟と両親に付き合いのこと話したよ。」

家族が喜んでくれたことを伝えたとき、夫はほっとした様子だった。
「何よりだね。本当にうれしい。認めてくれてうれしい。僕もね、母に話したんだよ。3月にね。早く会いたいって言ってたよ。」

「えっ?3月?知らなかった。聞いてないよ。」

「だって、ののこがまだ家族に話していないのに、僕がもう話したというとプレッシャーをかけるだろ。だからののこが話してからと思ったんだよ。」

夫は私への気遣いからタイミングを待ってくれたのだ。またひとつ、夫の繊細さ、人への細やかな気遣いをみた。

夫の父親は私たちが出会った年の春に亡くなっている。会えたらよかったのに、会いたかったな。それが残念で寂しく感じた。

とりあえず、私たちそれぞれから家族への紹介を終えたことにお互いにほっとした。

もう決めるしかない

4月、5月の私たちの会話は実際に会うことに集中していた。
「会いたい。」「いつ会える?」「ワクチンはいつ?」

喧嘩は一度もないものの、感情の高ぶりを繰り返し、どうしようもない気持ちをぶつけ合うことが多かった。

アメリカ人の夫と日本人の私の間にはコロナやワクチンに関して感覚や考えが違った。ワクチンを接種したことで、夫の中にはひとつ準備が整ったという意識があった。

アメリカ在住の夫はワクチンを4月、5月に接種。
日本在住の私は医療従事者のため、一般より早く3月と4月に接種。

待って。ワクチンを打ったからといって万全じゃないんだよ。
外国人は日本に入国できない。

だから、会える方法は一つしかないんだよ。
私が仕事を辞めるしかないんだよ。

いつ辞める?

年度途中の退職は避けたかった。突然数ヶ月前に申し出て辞めることも避けたかった。騒々しい多忙な職場で、すべての業務をしていた私には、それなりの責任がある。考えるだけで気が遠くなる。

収入の安定した仕事。毎月決まった額の給料と年2回のボーナス。毎月ある程度使ってもボーナスで十分に貯蓄を補える恵まれた収入だった。貯金はある程度あったけれど、いざ退職することを考えると、やはり足がすくんだ。

でも・・・

日本は選り好みしなければ、仕事は見つかる。フルタイムで働けば、そんなにお金に困る国ではない。

一方で、アメリカは物価も高いし医療費はとてつもなく高い。その国にいく可能性があるなら、と考えると答えが出せないでいた。

2020年の初めには、デンマークのフォルケに4ヶ月間留学して出直そうと考えていた私だが、それはその後東京にでも出て仕事を探そうと思っていたから、事態は全く違うわけだ。

こんな話を繰り返した私に6月に入ったころ、夫が言った。

「ののこ、今伝えたいことがある。I'm in love with you.
君と一緒になることをこんなに長く待たなければいけないなんて、想像するだけで僕は砕けそうになる。なるべく早くに会える道を見つけたい。それが唯一僕が正気でいられる道だと思える。

一日も、一週間も、一月も、一年もあっという間に過ぎていってしまう。これからも我慢するよ。君は僕が一緒になりたい人だから。だけど毎日が苦闘だよ。」

とうとう言った。言ってくれた。

はじめてのLワード。Loveの単語を使うのはまだ早いと言っていた夫。Lワードは簡単に使わないよと聞いたことがあったが、本当にそうだった。

"I'm in love with you. " は、日本語にすると「愛している」になると思う。でもこれは単に「愛している」という以上の重みがある表現。

英語が流暢でなくても、その違いは理解していたから、一瞬止まった。

もう決めなきゃな。決断しなきゃいけない。

仕事はほかにもある。また探せばいい。だけど、私をこんなに思ってくれる人はいない。もう会えない。私の過去を思い起こせば、そして年齢を考えると、自然と夫以上の人はもう出てこないと思った。

わかったよ。ありがとう。決めたよ。
辞める。仕事を辞めて会いにいくよ。

もうほかのことは、後付けでいい。とにかく、辞めて会いにいく。
アメリカに会いにいく。

最後に

ここで、一曲紹介して今回を締めくくります。

くればいいのに feat. 草野マサムネfrom SPITZ. by KREVA

コロナ禍でどうしようもない時期の遠距離恋愛。会いたいという気持ちがお互いに高まっているのに、外国人は日本に入国できない。

私は病院勤務で同居人以外との接触を禁じられている。一日中マスクとゴーグルをして不特定多数の患者さんに接する日々。プライベートも自宅に引き篭もるしかない。会うという2人の想いがいつ叶うか予想ができなかった。

愛に国境はない。

そう訴えていた国際カップル、国際ファミリーが多くいたあの時期、2021年によく聴いていた、私の心境をそのままに表現している曲です。

映画『ダーリンは外国人』の挿入歌にもなっています。
5分31秒 よろしければ、お聴きください。


長文を最後までお読みくださり、本当にありがとうございます。
感謝を込めて。

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後記

このシリーズを書くとき、大量の写真やビデオ、互いに交換したLINEやメールを見返している。懐かしくてネットサーフィンのように、次々と対象外のものも見てしまい手が止まるので、ついつい日数が経ってしまう。皆さんも、古いものを整理をするとき、断捨離をするとき、そんな経験をされているのではないか。

でも思い出を振り返るのは、楽しいですよね。

次回は、2021年後半 葛藤の後の決断について綴ります。

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