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『清めの銀橋』抜粋

 ここ半年ほど真智はろくに眠れていない。真智と渋川はそのことについて話し始めた。すると職員室の奥のほうから、「藤原さん?」と猫なで声で話しかけてくる人物が近づいてくる。担任で国語教師の木場である。前任の教師の母親が倒れ、木場は昨年度からおばさんの年齢にして初めて、クラスを持つことになった。私は木場に「ちょっとこっちに」と手招きされ、桜の咲く中庭の見える廊下に呼び出された。
「藤原さん、私の授業いっつも寝てるようですけどね。ノートとかとってますか?」
「友達に見せてもらってます」
 ――嘘だけど。
「ほかの授業でも寝ているようですね」
「まぁそうです。世界史は起きてますよ」
 世界史は唯一まじめに受けている授業だ。教師は鈴木というが彼の授業は暗記させる授業じゃなくて、物語のように進められる。あと、初めて授業をするときに、「歴史は繰り返される。過去という歴史を知れば、未来も見えてくる」と鈴木は言った。この言葉で世界史に対する意欲が出たのだ。
「あなたたちは三年生になって、これからの将来を決める重要な時期なんです」
「はぁ」
「もっと自分を見つめなおして、これからどうするのか考えないといけません。あなたはⅡ類なんですから、それに向けて計画を立てるべきです」
 この人は担任になるにあたってプログラミングでもされたのか。表面的なことしか言わず、寄り添うということを知らない人だ。
「じゃあ、先生が学費貸してくれますか?」
 四年間たいして興味もない学問を学ぶために、アルバイトで生活費を稼ぎながら勉学に励んで。四百万ほどの借金をして、大学卒業後十何年、何十年もかけてその借金を返すのが私の歩むべき将来なんですか? そう勢いに任せて言いたかったが、この人に言っても仕方がない。
「……あなたの家庭の事情は聞いていますけどね。返さなくてもいい奨学金もあるんですよ。あなたが特待生になれば」
「なれればね。なる努力ができれば、ですよね」
 私が高校で学べたのは、生まれ持った脳みその限界が中学の勉強までだったってこと。そして今の環境は、自分の脳みそ以上を努力でカバーしようとできる環境ではないことだ。
「言いたいことはわかりますよ。あなたがアルバイトや家事を頑張っているっていうのは知ってますけど、学生の本分は勉学に励むことです」
「だからその先に何があるんですか」
 キーンコーンカーンコーンと終了のゴングが鳴った。

野々口西夏作『清めの銀橋』1章より

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