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オンナの哲学 -なぜ“オンナの”哲学なのか

男と女は違う生き物。
使い古された表現だが、私にはこれは真実だと思える。

私はこれまで、様々なかたちで様々な人が出した“答え”を参考にしてきたが、私には男性のそれが腑に落ちないことが多かった。“答え”そのものに納得がいかないと言うよりも、“答え”に至るプロセスに共感できなかった、と言ったほうが近いかもしれない。

彼らの語る言葉は、どこか上からものを言っているようだったり、理想論のように思えることが多かった。
彼らの言葉に真剣に耳を傾け、一言もとりこぼすまいとしながらも、この人は私のことをちゃんと見て言っているんだろうか、今の私の状態をちゃんと理解してくれているんだろうか、と冷めた目を向けるもう1人の自分が現れることも少なくなかった。

もちろん、彼らの考え方が間違っているとか、相談相手として不適切だったということではない。そうではなくて、その時の私には合っていなかった、というだけのことだった。

その時。私は自分探しの旅を始めたばかりで、自分で自分がどんな状態なのかも何を求めているのかもわかっていなかった。ただただ不安で、何でもいいからヒントが欲しいとやみくもに彼らに話を聞いていたのだが、そのやり方が間違っていたのだ、今思えば。

その時。私に本当に必要だったのは、ただただ話を聞いて寄り添ってくれる相手だったのだ。そんなことがあったんだね、大変だったね、辛かったね、今まで話せなくてしんどかったね、と言って涙を流させてくれる相手が必要だったのだと、今はわかる。

男は結果を出したがる。女はプロセスを重視する。
一般的に言われることだが、これがずばり当てはまっていた。彼らは私の悩みを聞いて、何とか解決してやりたいと思ってくれていたんだろうと思う。でも私はそれよりも、溜め込んでいた想いを吐き出させてほしかった。
相談して解決に近付こうとしているようで実は、何であんたばっかり喋ってんのよ、何であたしの話を聞いてくれないのよ、と逆に怒りを溜め込むはめになっていたのだ。

悲しいことに、男の、男ならではのマクロ視点のアドバイスやおおらかな優しさに、神経を逆撫でされる時があった。それは彼らのせいではなくて、私の状態や、つい聞き役に回ってしまう私の悪癖とのミスマッチであっただけなのだけど。

だから私は、自分の気持ちが揺れ動いている時やデリケートな内容は、女性に話すようにした。言葉にできないような微妙な想いも、同じ女性なら汲みとってもらえるから。通じ合えるから。

そして私は、そんな女ならではの脆く繊細な感性で得てきた“答え”が、少しでも悩み苦しんでいる女性たちの手助けになればと思っている。



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