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オンナの哲学 -哲学するヒント・星の王子さま(1)子どもの心と大人の思考

世紀を超えるベストセラー「星の王子さま」だが、実は私は大人になるまで読んだことがなかった。子どもの頃、何かの本に「星の王子さま」の一説が書かれてあったのを読んだことがあったが、その時には全く理解できずどうしてこれが名作と言われているのだろう、と不思議に思っていた。

そして子どもの頃に心を殺して生きていた私は、大人になってから、その殺してきた心を少しずつ開放していく過程で、改めてこの本に出会った。

初めて読んだ時の感想は、こんな感じだった。
・哲学があちこちにちりばめられている気がする(まだよくわからない)
・文章が柔らかく優しく、詩的で美しい(さすがフランス文学)
・挿し絵が素朴で味がある(王子さまの愛らしさが伝わってくる)
・キツネとの別れのシーンで泣けた(なぜかよくわからないけど)

一度読んだだけではその素晴らしさがあまりわからなかったから、それから折に触れて何度となく読み返した。自分を見失ってしまっていると感じた時や、とても悲しい時なんかに。

そして初めて読んだ時から10年以上経った今、この名作がこんなに私の心に響くのは、一貫して私が人生で一番大切にしていることをベースに物語が展開しているからだ、とわかってきた。
今回はまず、その“ベース”について書こうと思う。

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それは「ぼく」が王子さまと出会ったシーンでまず表されている。
“子どもの心を大人の思考で守りながら生きてこそ、自分の求める人生が開けてくる”というメッセージだ。

王子さまが「ぼく」に描いてとせがんだ「ヒツジ」は、“柔軟で穢れのない子どもの心”の象徴だと私は思う。そしてある程度大人になってしまっていた「ぼく」には、王子さまが求めるようなそれを表現することができなかった。だから苦肉の策として「箱」を描いたのだが、それは実は王子さまの、子どもの想像力に寄り添う、「ぼく」の、大人の優しさだったのだと思う。

だから王子さまは喜んだのだろう。大人である「ぼく」が子どもの王子さまに優しく寄り添ったから、王子さまもその、大人の精一杯の優しさを受け入れたんだと思う。それが自分の望むかたちでなくても。

純粋無垢な子どもと、合理性を求める大人とが理解し合い、寄り添うことはとても難しいと思う。でも、大人の「ぼく」は王子さまの子どもっぽい一方的な話を真剣に聞き続けた。「いちばんたいせつなことは、目に見えない」という真理についても王子さまと理解を共有できた。それは「ぼく」もまた子どもだったから、ということではなく、王子さまの、純粋な子ども心の尊さを「ちゃんと理解できる大人」だったから、ということだろう。

王子さまもまた、「ぼく」を理解しようと努めた。自分には必要のない「水」も、「ぼく」を理解するために一緒に探した。「水」は、子どもの自分には重要と思えない“生きる術”の象徴だろう。でも、そうして手間暇かけて体験を共有することでお互いの理解はより深まり、王子さまは、自分に対する「ぼく」の愛情を改めて確認できただろうと思う。

「ぼく」は王子さまのかわいいワガママに振り回されながらも、ひたすら王子さまを受け入れ、寄り添い続けた。王子さまの願いを叶えるために、自分の悲しみをおいて悲壮な帰還も見届けた。繊細で美しい子ども心を最後まで大人の包容力で尊重し、見守り続けたのだ。

子どもの心を大人の思考で守る。
生きたいように生きるために、生き抜く知恵と強さをもって支える。
全編を通して「ぼく」が見せる王子さまへの献身に、私は自分の理想の生き方を見ている。私の中の純粋さを守るために、知性と強さを育て続けるという生き方を。

そして「ぼく」が、「その人がほんとうにものごとがわかる人かどうか、知りたかったから」「第一号の絵を持ち歩いてはこれはなかなか冴えているなと思う人に出会うと実験してみた」ように、私も、私にとっての王子さまを探し続けていることも、この物語に共感してやまない理由の一つだ。

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