保育園に行かないということ。

東京で生まれた私は、3歳で両親の実家のある某田舎に引越しました。
近所には同じ歳の女の子と男の子、歳が近い子供が数人おりました。

当時の田舎では、小学校に入る1~2年前から保育園に入る子供が大半で、残りの子供は町にある幼稚園に行っていました。

しかし、私の家では、そのどちらも選択しませんでした。
その理由は、母が専業主婦で家にいたので、自分の手で育てたい、お金を出してまで行かせる必要は無いとのことでした。
しかし、この選択は、後に、私に心に深い爪痕を残します。
それはまた、次の機会に。

では、保育園に行かないあいだ、どう過ごしていたかというと、母や兄と過ごす。近所の小さい子と遊ぶ。教育テレビを見る。
あとは一人遊びにふける。この時間が多かったように思います。
当時の私は、謎の歌を作る、謎のダンスを作る、謎の薬を作る、人形で謎のストーリーを作る、妄想をする、そんなことにはまっていました。
ブランコに乗っては、アニメのハイジのように、空からブランコが繋がっている妄想は鉄板でした。

しかし、そんな日々のなか、ある光景を目にします。
遠足中の保育園の集団が、私の家の前を楽しそうに通過したのです。
「個」しか知らず、楽しんでいた私に、「集団」という概念と憧れが初めて生まれたのです。それは親への疑問の始まりでもありました。
「保育園って?」「遠足って?」
「なぜ、私はみんなと同じように保育園に行かないのか?」
その当時、母が何と答えたか、よく覚えていません。

ただ、その代わりに、母がお弁当を作り、水筒にお茶を入れてリュックに詰め、途中、駄菓子屋さんでお菓子を買いながら、近くの山まで「2人遠足」をしてくれました。
新緑がとても綺麗な春のことだったと思います。
今もこの先も、きっと忘れることのない、母との思い出になりました。

ちなみに、金銭的な大きな理由は、当時の保育園は世帯収入で毎月の園費が決まっていたそうです。
私の父は普通の会社員でしたが、私が保育園に行く場合は毎月3万円。
近所の同じ年の子の場合、毎月3千円。
それくらいの差があって、母は腹が立って行かせなかったらしいです。

まあ、いいんですけど。

この頃の思考・嗜好は、大人の今の私に大きく影響しています。

子供時代、ほんとうに大切です。

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