不登校が始まる予兆
当時、全く気付いていませんでした。
長男が不登校になるなんて。
不登校になってからも、今思えば軌道修正してあげることができた気がして何度も後悔しました。
今もまだ、その繰り返しの最中ではありますが、高校生になった息子は少し頼もしくもあります。
今、あの時に戻れるなら。そんな風に何度も思う場面があり、それを今、同じ地点にいる方の少しでも参考になれば。そんな気持ちから、書くことにしました。
といっても、そんな大それた事でもなく、ただただ苦悩しながら進んだ普通の日常です。
それでも誰かの支えになることがあれば嬉しく思います。
長男は、真面目でちょっと頑固。
明るくて、スポーツも勉強も普通くらいの成績。私はそれで十分だと思っていたし、ずっとそんな日常が続いていくと思っていました。
3つ年下の次男とは、喧嘩もするけど、よく遊んでくれる優しいお兄ちゃん。お友達も多くて、いつも楽しく元気いっぱいな子でした。
習い事は、ダンス、スイミング、学習教室と、週に4日通っていて充実してる毎日でした。
シングルマザーの私は、毎日忙しく、近くに住む実家の祖父母が学校から帰宅後は、いつも面倒を見てくれていました。
小学校5年生になった時、1年生の時に意地悪されたA君が同じクラスと分かって、少し気にはなったものの、新しいお友達もできて、楽しそうにしていたので安心していました。
1学期の終わりくらいに、長男がA君に意地悪された事を訴えてきました。
内容はちょっと見逃せない感じでした。
担任の先生にすぐ相談して、先生がすぐ対応してくれたので、それで解決したかに思っていました。
夏休み、思い切り遊んで、楽しく過ごして新しく塾に入ろうと夏期講習の体験に行ったり、ダンスのレッスンに励んだりしていました。
2学期が始まって数日後、長男が学校に行きたくないと言い出しましたが、何とか説得して登校させたりしていました。
私は仕事に行かなくては行けないため、遅刻してしまう時は祖母に頼んだり、先生に迎えに来てもらったり。
当時、長男にはきつく叱ってしまったこともあります。とにかく学校に行きなさいと。
今思えば、あの時の長男に謝りたいし、お恥ずかしい限りですが、当時の私は自分の仕事もあるし、早く行ってくれ。と言わんばかりの対応をしていました。
理由はA君だと、はっきりしているし、学校でしっかり見ていてもらえたらきっと解決すると思っていました。
そんな中、5日間の自然学校がありました。
たくさん準備して、行けるかどうか親子で不安になりながらも、無事行くことができました。
担任の先生が配慮してくれて、仲良しのお友達と一緒の班にしてもらい、楽しみな気持ちの方が強くて行けたんだと思います。
自然学校から帰ってきて数日、普通に登校していたので、良いきっかけになったのかなと、ホッとしたのも束の間。一気に行けなくなりました。
朝、起きることも出来ず、ただ泣くばかり。
そんな長男を必死に抱きしめて、なだめて、とにかく気持ちを落ち着かせるのに毎朝数時間かかるようになってしまいました。
私は仕事があるので、出勤時間には祖母にバトンタッチ。泣きながら追いかけてくる長男に、どうしたらいいか分からなくて、私も泣きたくなる毎日でした。
自然学校から帰ってきて、A君はストレスがたまった反動から、意地悪がひどくなり、その矛先のひとりが長男でした。
ただ、担任の先生曰く、1人だけじゃなく、みんなやられているけど、みんな上手に受け流しています。と。
それは、まるでうちの子がオーバー過ぎると言われているような…でも、実際それが原因で怪我もしたし、学校に行けなくなっているからと、主張してみたところ、
「A君は発達障害があり、お母さんもすごく悩まれてきています」と。
この言葉に、はい、そうですかと言えなかった私は、「発達障害だったら手を出しても大丈夫なんですか?実際学校に行けなくなってても、やられた方は我慢しなければいけないんですか?」
そんな風に言い返したと思います。
それでもやっぱり先生は、話を受け止めてくれる様子もなく、、、
どうしていいのか、全くわからない状況でした。
※画像はイメージです。