「さらば、すべてのヱヴァンゲリヲン」だってさ。

「さらば、すべてのヱヴァンゲリヲン」

僕はこの言葉が好きだ。それは作品や、作品の中で生きている彼ら、彼女たち、あとファンに向けての言葉が込められていると思っている。

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今作で終劇となった新世紀ヱヴァンゲリヲンの世界は、今まで意味深だった言葉や伏線は最後の最後で回収されたような気にはなってはいるけれど。
正直、3時間という中に少し強引に収めたと思う所は正直あります。
でも個人的には違和感も感じないし、今を生きている僕らにとっては幸せの形や道を提示して物語を終わらせてくれたのだと思っています。

そもそも、それを言ってはお終いな気がするのだけど。
生きる事や幸せの形とか、人生のこの壮大なテーマや哲学的なメッセージを内包したヱヴァンゲリヲンの世界の答え(総括)を、3時間で伝えて形にしてエンドロールにする事なんて不可能だと思うし、そのテーマに答えを出す事自体が人間には無理な話で。

ヱヴァンゲリヲンという作品が提示できるのは。
生きていく中で負の連鎖や、悪循環に陥ってしまっている人に、

「そのままで生きていくのは辛い事だよ」と。

僕らにそっと手を差し沿えてくれる作品で完結したのだと思っています。


とはいえ。
話の流れで解っている気になっているだけで、自分はエヴァの世界の設定はほとんど理解が整理できていません。
例えば、アダムとリリンとリリスを同時に話をされると、僕の頭の中はごちゃごちゃになってしまうくらいで。

ATフィールドは人や僕らが持つ「心の壁」みたいなものとしか僕は解釈していないし、簡単な用語や設定ですら話の中でちゃんと理解しながら見聞きできるほど分かっていません。

そこらは「僕も25年前から好きだったよ」と、いう事で感想としては許してください。


コアでマニアックなファンでも無ければ、考察を深めたり、画面の細部を読み取って推測したり、議論や論争を起こすような熱狂的なファンでも信者でもないのです。

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25年前のアニメ版エヴァンゲリオンの最終回は、主人公の心理描写や、何かの撮影現場みたいな空間、カウンセリングのような形で対話形式で話が進んで終わりました。

子供ながらに、明らかにそれまでのアニメっぽい感じが無くなって、独特な感じになったのを覚えています。

他者との繋がり、世界と自分との関係。自分の存在とは、生きるとは。
このような台詞や言葉で世界(シーン)が展開されていきます。

間違っていたら申し訳ないけど、解釈というか受け取り方、人生の歩き方の違いと思って、ファンの方は聞き流してください。
でも、普通のよくあるアニメの最終回では無かったと思います。

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25年前って、どんな世界だったか覚えていますか?
当時、例えば1995年から2000年の間の事を思い出せますか?


懐かしさも含めて、改めて思い返すと。
毎日、何か(新しい)事件や、新しい発見が生まれて、新しいものが発売されて、それらがテレビで常に流れていたような気がします。
今と比べてどうかというのは解りませんが、個人的には当時の方が今よりも、熱狂的で狂気的だった空気が良くも悪くもあったような気がします。

今の卒業アルバムがどうなっているのか知らないけれど。
当時の卒業アルバムがあれば、最後のページに日本の歴史年表みたいなのが書かれていて、この1995年から書かれている事件や、世の中の出来事みたいな所が多くなっていませんか?
事件も、出来事も、生まれたものも、この1995年から2000年あたりまでの間は多かったと思うのです。

昔は卒業アルバムの最後の方に、個人の住所や電話番号が書かれていましたね。個人情報が筒抜けの時代でした。

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僕はヱヴァンゲリヲンあの最終回が好きでした。
救いにはならなかったけれど。
あれで終わるのも綺麗だと思っていました。

その後の劇場版「まごころを君に」で、主人公たちが、全滅、壊滅状態に追いやられて死んでいく中。最後、赤い海の波打ち際で、惣流アスカ・ラングレーと碇シンジの二人だけになり、シンジがアスカの首を絞め、アスカがシンジの頬に手をあてて、シンジが涙を流し、最後にアスカが

「気持ち悪い」

と呟いて終わるというのは、確かに悲しいような苦しいような、何とも言えない終わり方だったと思うのです。

あの時、子供ながらに、アスカの気持ちと、シンジの行動と、アスカの台詞の意味を何となく察したような気になって。
「悲しい」「切ない」でも、それよりも、心のどこかで「羨ましい」という気持ちが自分の中にあったのを強く覚えています。

それから時を経て、今回の4部作で大きく変わり。しかもそれがリメイク(焼き回し)ではなく、新しい解釈というのか、「これが本当の終わりですよ」と庵野監督が世の中に提示した今作は、ファンに向けたプレゼントのようなものだと僕は思って受け取っています。

だから、25年前のあの感情と、そこからの過程を持っていない人が「序」「破」「Q」あるいは、シン・ヱヴァンゲリヲン劇場版だけを見て、ファンになる、あるいは、この四部作を見てから遡ってアニメ版を見たとしても、少なからず、僕らの位置には来ることは出来ないのです。

奇跡的に、コミックやアニメ版を先に観て、そこから何かの悪戯で劇場版、新劇場版の存在を知らずに、大人になって、どこかで劇場版と新劇場版を観るような子がいたら、それは運命の子だと思います。

今更ですが。

書きながら正式名称を調べようとすると。
ヱヴァンゲリヲンという表記も、エヴァンゲリオンとヱヴァンゲリヲンの二つが存在し、劇場版も厳密には3つあり、自分が見たのが旧劇場版の「Air/まごころを、君に」で、今回の4部作は新劇場版と表記されるのだと知りました。
書きながら訂正しつつ、間違ったままになっているところがあると思います。ごめんなさい。

その程度の人間ではありますが、考えている、受け取っている想いや熱量や影響という面でファンの方や作品には許してもらいたいです。

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