永遠の中二病では通用しなくなる

最近の僕の変化。

これは僕が大人になったから、僕が年老いたから。

経験値や情報量を重ねて、選択肢が増えていけば余裕も増えると同時に見識、視野にも変化が出てくる。

それは大人になったから余裕や余力が出来たのではなく、見える世界や考える事、感情と言う感想に多様性・多面性が持てるようになる。
それは結果的に、それまでの言ってしまえば「単純な思考」や解答だけで物事を判断しなくなるからだと思う。

若いと言われるうちは、それがどうしても一つ、少ない選択肢や感情、思考回路で自分の事や物事をとらえてしまう。

それはすべてにおいて浅はか。
僕の今の言葉で言えば「浅い」といってしまう。

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例え話にするのは誤解が生まれそうで抵抗があるが。
僕もあの頃、少し前までは、全力や無我夢中。
必死で必死で命懸けで、それこそ狂信的、妄信的。
そういう価値観を好み、そういった自分でありたいと信じ思い込んでいた。

自分の正義や美学や主義主張みたいなものも全てが偶像崇拝的だったと思う。
それは今の僕の言葉で言えば「俯瞰力」「客観性」が持てていないからだ。

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自分の言動や姿が見えていないと物事も同じで観えてない事が増える。

偏った情報や持論にも気が付かない。

その時に間違ってしまう選択があったとしてもそれにも気が付かない。
だから、そこに気が付かない限りは同じ過ちや失敗を繰り返してしまう可能性も高くなる。

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僕は音楽や、自分が好きなもの。
それは格闘技や芸事。すべてに僕は重ねる。

例えば、今の僕はストレートな言葉の歌がそこまで好きではない。
それだけを好み評価はしない。
それだけの歌には響かなくなってきている。

昔好きだった曲も、今は好きなままだが、自分の中では変わっている。

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僕は
「愛してるを愛してると言う言葉で表現する歌が好きではない」
と言いづ付けている。

ナンバーガールはラブソングを歌わない。
それは「愛」や「愛してる」などと言わないだけで、冷凍都市の中の諸行無常を謳っているからナンバーガールは愛も歌っている。
そう僕は受け取っている。

単純な言葉や、わかりやすい言葉で表現していないという事だ。

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向井君も、「冷凍都市」という言葉は今でも使うけど、今は「乱土」と表現もする。
それって何と思う人は、言葉を字面でしか理解できない、受け取って自分で解釈できない感受性の問題だと僕は思う。

向井君は今でも「少女」という言葉は使う。
けれど、それはいわゆる当時もそうだが、女の子という意味で少女と言っているのではない。

言葉遊びだけではない。言い回しだけではない。

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音楽も、コードや楽器の音、音数、音色、そういったものにはある程度の決まりや現実的には有限だと思う。

今までの人類が生み出せていない音や楽器はあるのかもしれないけど、ある程度は決まっている。

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人間の変化と共に、いつかは変わる事もある。

変わる必要があるとは言わない。ただ、変わらない事を良しとして、それしか選択肢や価値観や物事の解釈、捉え方を持ち合わせていないのであればそれは、僕は成長が無いと今の僕は捉える。

変わらない方が良い事もあれば、変わった方が良い事もあると言いたいのだ。

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いつまでも悲劇のヒロインではいられない。

でも、それが絶対的な悪で、間違いとも僕は言わない。
けれど、いつまでもそのままで
「辛い、辛い」
「死にたい」
「眠れない」
と言い続けて一生を終えてしまう事にも気が付いていなければ、もし今の自分が不幸せだと言いたいのであれば、

変わる未来も、自分で気が付かなければならないと僕は言いたい。

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