今日の日記は、今日の一部でしかない、そう何度も言っているのに
昔、仕事で東京に行っていた時。
そこは名のある会社の人たちが集まっていた。
僕はそこに行くのが本当に気が重かった。
建物の中に入るまでは良いのだけど、中に入って会議が始まると苦しかった。その後の食事、偶然帰りの電車が一緒になった人との会話も苦しかった。
それは自分の中身が足りないからだ。
自分の持っている知識や情報量が少なすぎるから。
会話が最適に出来なかった事しか記憶にない。
だから苦しかった。その時の僕は劣等感しかない。
言い訳はあるが、東京のど真ん中であの状況になれば、僕にはあそこから言い訳をする気にはなれない。
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いや、言い訳はあった。
「○○にはブローカーが昔から今でも存在していて、この契約書や内容では相手と上手く話が進まない」
そう言い訳を僕は言っていた。
今ならそれが言い訳だと、間違っていると、解る。
・・
上手くいかない内容なら、作り直すだけだ。
まず形にして、相手に話を聞いてもらえる状態にする。
仕事の話を持って行く。
それでまた納得してもらえない、理解してもらえない、相手にしてもらえないなら、行くか引くか。
まだそこで頑張りたいなら、再度、挑戦し続けるしかない。
それだけだ。
・・
体力と気力が持つか。それは努力だけだ。
そこで
「体力が」
「気力が」
「気持ちが、精神が」
というなら、努力をしたくないだけなのだ。
努力をしなければ死ぬなら、人間は努力を否が応でもする。
努力をしないのは、努力をしなくてもいけると思っているからでしかない。
・・
そうだった。
馬鹿が周りに占めると自分が偉くなった気になってしまう。
・・
・・
不安とは何だろうか。
不安について考える。
僕が今ここで書いている不安は、何だ。
・
これから先、生きていても楽しくない。良い事も無い。
お金も無くなっていく。
年老いて死んでいく。病気や老化で、都合よくは死ねないからな。
「痛い痛い」
と言いながら、なけなしのお金を握りしめて。
今と変わらない、子供みたいな生活をして生きていくのだ。
・・
僕は今、生き辛さを生む不安が少ない。
優先順位を決めて切り捨てた時点で、僕の生き辛さや希死念慮の引き金は圧倒的に減った。それだけ一度、人生と腹を括ったのだ。
・
人間にはして良い事と悪いことがある事は教育されてますか?
「感謝の気持ちを忘れずにと教えています」と仰っていましたけど。
自分がした事に対する責任の取り方。
謝罪の仕方は教えていらっしゃるのですか?
社会を、人間を、舐めるなよ。
命よりも重い誠意を返せ。
それ以上はまだ言わない。
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・・
死にたいと絶望していた頃の事を思い出せないくらい。
そう言っているからそう書こうとした今、思い出した。
・
取り返せない時間やお金や人生の後悔だ。
失ったもの、無くなったもの、もう取り返せないもの、事。
それを悔み、怒り、嘆き苦しみ癇癪のように怒り。
また怒り、悔やみ、苦しみ、発狂するまで。
「有限な(有限だった)失ってしまった過去」に執着しているのだ。
これが絶望や挫折に伴う過程だと思う。
・・
・・
誰かが僕のあの一件について
「りょうちゃんは最後の挨拶をちゃんとしたかったんよね」
だったかな。もう忘れてきているから、会話の内容を美化、作話したくないから思い出したいけど。正確には今思い出せない。
確かそういう事を言われて「確かにそうだったのかもな」と思った事を思い出している。
でも、それもどうなんだと思う。
・
じゃあ、最後の挨拶だけ、綺麗にしたらいいのか。
それで事が済むのか、何も問題もなく、悪い事も無く許したのか。
そこだと思う。
だからそれは、どうしようもない事なのだ。
だから「最期くらいはちゃんとしようよ」と言うのは、それは勝ち逃げ、取ったもの、やったもの勝ちの側の譲歩案でしか無いと僕は思っている。
けれど、それが人間の現実なのだ。
これは山口県に居た時の話。
このnoteを書き始めた時の話ね。
それ以外の不義理や裏切りは、何一つ変えずに、万死極刑に値する。
・・
昨日は久しぶりに12時間くらい眠った。
今年に入ってからは初めてだと思う。
一言で言えば、自分の部屋の片づけをした。
それだけといえばそれだけだが、僕にとってはストレスが限界を少し、一瞬超えたのだと思う。
夕方からずっと眠くて、運転も出来なかったから、そのまま帰ってきてそのまま寝た。
・
夕方に終わり、27日からの仕事の手配でアルバイトと話す。
・
完全な認知症の婆ちゃんにも思う。
僕にも思う。
子供は、そうだと思う。
・
Aの事に対しての答えを、Bで返すのだ。
Aの事を聞かれているのに、Bで返事をするのだ。
それが言い訳と言われて、怒ったり傷付いたと反論するのだ。
だから仕事が出来ないと言われるのだ。そしてそれが解らない。
・
現場でもそうだ。
「これをまとめて、箱に入れてください」
と伝えると
疲れる、とか、面倒だとは流石に言わないが、
延々と、出来ていない理由や、他の事を言い出す。
それを
「言い訳するな」「ちゃんと仕事をしてくださいね」
と言うと、パワハラ、モラハラ、暴言と言うだろう。
「何を言ってもいいから、やれ」
と言われている事が一切解っていないのだ。
・
自分の持論や意見はいくらでも言えるけど、自分がしている事や言動が、他者から見て、社会からどう見られるのか考える脳が無いのだ。
その意味がわからないのか、解っていても、逃げて腐った人間なのか。
評価や判断されているのかが見えないのだろう。
思慮が浅いのは人間の姿だ。
そうだ。この言い方だ。
障害だの流行り言葉の自分軸だの、それこそ犯罪者や前科者とか、借金博打狂い、とか言い出したらキリが無い。
僕を世界を知らない人から見れば、僕の日記こそ偏見や差別の塊なんだと思う。
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・・
一つ思い出したことを書く。
僕と、あいつとの最後。話がこじれた時の話。
その件について、何があったかはここで書くと長くなるから書かない。
僕は警察、弁護士、あいつの親族(義理の父親)と何度も話をした。
色々あったけれど、最終的に僕は100万の金を手にした。
でも最初あの瞬間はその金が誰の物か曖昧な状態になっていた。
そこでお金を確実に清算させる為に、僕は、自分の手元に引き込んだ。
・
障がい者は、目のまえにお金があると、それが自分の物か他人の物か、正しい判断や思考が無い。だから借金も前科も増える。
お金が一度でも、あいつの手元に入ってしまうと、博打や風俗で全部使い切る事は何度も経験済みだった。
それは弁護士の前でも、警察の中でも、証明済み。
そういったやり取りをしている。
だから一切、違法行為ではない事だけ念を押す。
・
最期の日の事は、今でも覚えている。
あいつとのやり取り。それが「人間、突き詰めた所」のやり取りだ。
押すか引くかではない。
斬るか、引くか、なのだ。
・
あの時は僕には非が無かった。
そして、その数か月の記録や証拠を、全員が理解して共有していた。
だから僕はどうなっていても、そのお金を手にする事は確実だった。
多少は欲に目がくらんだかもしれない。
僕の悪い所、どんぶり勘定をしているダメな所はあった。
けれど、どの道、こいつらと縁を切るなんて、その時の僕には考えられない事だった。
・
他人には分らないと思う。
色々あるからこそ、運命共同体のようになってしまっていた部分が良くも悪くもあった。
だから、それこそ「腐れ縁で」と言いながら一緒にいる連中だと思っていた。
僕も馬鹿だから、それになれて馴染んで落ちぶれていく事に甘んじていた。
言い訳や傷の舐め合いをしながら、大量の馬鹿を引き連れて、自分が偉くなったような言動もしていたと思う。
それで最後は、誰が正しい、間違っている、良い悪いは置いておいて、無しにして、あの瞬間、擬音にすれば「スパッ」と切れたのだ。
・
僕は何を失ったのか。
人生の大切な時間。
それとも友達、仲間。
大切な事から逃げて、落ちぶれていく人間たちの世界。
キチガイ障碍者、生き物たちとの愉快な珍道中。
遊び仲間であり、安い給料で仕事につかえて、馬鹿で計算も出来ないからすぐに引っ掛かる、引っかけやすい悪友。
困ったときは本気で助け合う、純粋で凶悪な人間。
世間からはみ出し、真っ当な人間の道からも外れ、犬猫サルの動物と同じレベルの人間たちとの最高で最悪な日々。
当時の僕は何が間違っているのか、解っていても実行が出来なかった。
だから、今ならその縁切りが正しい事だったと自分でも理解できる。
でも当時の僕は辛かったし悲しかった。
不安だったのは「友達」を失う事だったと思い返す。
でも、そんな友達はいらないのだ。
・
あえて言うが、僕のしている事が悪事にならないか、そんな不安なんて一切ない。なかった。
ただ、争うのが怖かったりもした。
でも、それは解っていた事、そこまで怖くも不安でも無かった。
・
それと同じだ。
人間同士、人間関係で問題が生じた時。
最終的には、その「スパッ」と物事が解決なり終幕する。
・
その時に、金を持っている奴が正気で居られる。
後悔。
失ったものに絶句し、絶望した者が地獄のような気になり、負けた事になる。逆恨みもする。忘れてはいけない。
人間同士はそれぞれの正義と言い分で殺し合う。
それと同じ事を僕らは繰り返している。
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我が家は僕も含めて馬鹿だから、人一倍、人間関係や現実で貧乏している。
負の連鎖を続けている。僕は今、その事を、もっと素直に理解している。
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