永遠に続けば良いのに
そんな言葉を思い出す。
この時間が永遠に続けば良いのに。
今日と言う日が永遠に続けば良いのに。
・・・・・・・
僕ら は一日に 24時間しか時間を持ち合わせていない。
今この瞬間が永遠に続けば良いのにと、いくら願った時があったとして。
気がつけば、もういつの間にかの次の時点に「あの時」は過ぎ去っている。
「初夏の季節 今日も一日きもちがいい一日になりそうです」
なんか違う気がする。さっき思い出したこの言葉は僕が好きだったメールの言葉だった。
僕はメールアドレスをこの二人以外には教えていない。だから鳴るのは、電話番号の着信音か、ショートメッセージか、Eメールの3つだけ。
「今日もゆっくりと」
そんな柔らかいニュアンスの言葉だった気がする。
「清々しい季節」「そよ風が心地よく」
なんだったっけな。
さっき日記を書こうと思った瞬間に想い出した あの瞬間の光景。
あの景色は何だったんだろう。
あれ、忘れた。。
懐かしいような、いや、懐かしい。
「陽だまりのような」、というにはそれは「嘘」。
僕らは殺伐と混沌とした中。焦りや葛藤みたいな。
堕落に甘んじながら。苦悩と言葉にすると相反するのだけれど。
激動と言えば激動で、ドラマチックと言うには生々しい怠慢した、
鬱屈したような日々の中で 僕らは生きていた。
行き場のない感情や 言葉の矛先は自分に も 向きながら。
「好きだよ、好きだよ、みんなが好きなんだよ」と。
擦れ違う人や物、全方向に刺々しく、牙を向いて。
触れるものや擦れ違う者みなに噛み付いて。
世界に向いて叫んでいる振りをしていた。
そんな気でいた。そんな生活をしていた。
着信音はどれも雑音。
不在通知、着信履歴は、僕にとっては「鳴り止まない電話」
そんな時に唯一救いだったのは、「みゆき」か「かおる」の文字だけ。
あとの着信音はどれも雑音でしかなく。
僕にとっては「鳴りつづける電話」。
だからうるさかった。
でもそれは今思えばそれは「贅沢な悩み」だったのかもしれない。
ワガママで、甘えているだけの、自業自得の言い訳。
けれど僕にとってはそれは雑音。周囲に鳴り響く自分を否定する追い詰める騒音でしか無かった。
彼女たちから来るメールだけが僕の救いだった。
二人の存在が僕を形成した。
ナンバーガールの世界が僕の世界であるように、
僕にとっては彼女たちが現実で、彼女たちが幸せの象徴だった。
彼女が「ヒロイン」で、彼女は「アンチテーゼ」の象徴。
それは、今でも変わらない。
だから今でも、どこかで懐かしいような。恋しいくなるような響きの言葉が聞こえてくると、どこか
「もどかしいような、懐かしいような。」恋しくなる。
そんな愛おしく、切なくなるような日々を僕らは過ごして
そんな瞬間の中で、その瞬間を僕らは切り取って、生きているのです。
息をしているのです。
僕らはあの街に生きていたのです。
僕らはあの町にいたのです。
僕らは 「ありもしなかったような」 セリフと会話を繰り返して。