のんのん

映画や舞台の感想を、心が動いたときに・・・

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最近の記事

きれいのくに(美しさ・醜さ・自分らしさ)

誠也、凛、隆志、中山、れいら。 中山だけなぜか名字呼びなのよね。誠也と凛がお隣さんで幼馴染。隆志とれいらもなんとなく似たような雰囲気。中山だけ途中から引っ越して来たのかな?あるいは中受で合流とかかしら?だからなのか、中山はいつも一歩引いて自分の意見を言わず、5人の中での調整役を担っているような立ち位置。前回の「SMAPの中間管理職稲垣吾郎」問題と絡めて考えると面白いかもしれない。 閑話休題。 高校生5人の人間関係は、優しくも残酷だ。みんなで毎日のように集まってもカラオケ

    • きれいのくに(SMAP そして 稲垣吾郎)

      きれいのくに高校生編では、主人公たちの親世代(第二次ベビーブーム世代の少しあと、かな?)の多くが「みんながやっているから」という理由で「稲垣吾郎」と「加藤ローサ」の顔に整形している。 チーム轟をはじめとして、街中ではポスターや看板に「吾郎顔」が溢れ、自分の親も、友達の親も、映画監督も、担任の先生も、パパ活の相手も、道行くサラリーマンも、酔っ払いまでもが、みな吾郎顔をしている。彼らは「みんなと同じクオリティである」ことに安心し、かつ「高品質だがそんなに目立たない」ことに安心し

      • きれいのくに(誠也・凛・れいら)

        れいらは小学生の頃から誠也をずっと見ている。誠也は小学校の頃から、いじられがちな凛を守ってきた。誠也と凛は「お隣さん」同士の関係。お互いへの想いが幼馴染としての想い以上のものなのかどうかは、おそらく本人同士もいまいち自信がないのだろう。 れいらは自分より「地味」な凛に誠也に関しては敵わない。だからこそ、なのか、2人の間に「何か」を感じ取った時にはいつも、れいらは誠也を誘う。自分の方が華やかな容姿だし、自分の方が彼のほしいものを与えることができる。それでも誠也は「地味」で内気

        • きれいのくに(不可思議な「啓発映画」)

          大人編が高校生向けの「啓発映画」であったという種明かしとともに高校生編へと物語は移行する。 果たして大人編は「なんの」啓発映画だったのか。容姿が「自分が好ましいと思う方向に」変わったとしても、必ずしも「好きなひとの好きな顔」になれるわけではない。STOP整形!ということか。 「映画」(大人編)では「以前の自分まで戻る」(=若返り)がテーマだったわけだけれど、「現実」(高校生編)では「なりたい自分になる」(=整形)がテーマになっている(両者は分けられない部分もあるけれど)。

        きれいのくに(美しさ・醜さ・自分らしさ)

          きれいのくに(大人編)

          稲垣吾郎さんが出演するということで観始めたドラマ「きれいのくに」。かなり話題になったみたいで、大河や朝ドラなどとは別の意味で、新しいことにチャレンジしようとするNHKドラマ製作陣の本気度が感じられた。 最初の2回、大人編は、過去に中絶と離婚の経験がある美容室経営者の40代の女性恵理(吉田羊)と再婚相手である銀行員の夫宏之(平原テツ)をとりまく物語。若くてあらゆる可能性に満ちていた20代の頃、恵理は当時の交際相手で最初の夫であるカメラマンの健司との子どもを妊娠するが、当時の健

          きれいのくに(大人編)

          『ミッドナイトスワン』における視線のアンビヴァレンス:「わたしを見て」と「こっち見んな」の狭間で

          ⚠️ ネタバレありです。 『ミッドナイトスワン』は視線に関する映画である。 視線は残酷であると同時に温かい。視線は人を生かしもし、殺しもする。 そのひとらしさ。それは、その人自身が感じるものなのか。まわりの視線が決めるものなのか。あるいはその両方なのか。はたまたそのどちらでもないのか。 「なに見とんじゃ!」とアパートの住人に悪態をつく早織と、「こっち見んな」と一果を睨み付ける凪沙。「本当のわたし」を見て欲しい気持ちと、「恥ずかしいわたし」を見られたくない気持ちの間で、

          『ミッドナイトスワン』における視線のアンビヴァレンス:「わたしを見て」と「こっち見んな」の狭間で

          『ミッドナイトスワン』と赤い靴 :光の中で踊るということ

          久しぶりに衝撃的な映画体験をして、残しておきたくて、noteに登録までしてしまった(amebloから乗り換え)。ネタバレ有りです。 5回観て、小説を読んで、ようやく何か言葉を紡ぎ出してみようかなぁという気持ちになってきた。草彅剛くんの演技が大好きなことが直接のきっかけだったのだけれど、予告編動画で何度も流れる渋谷慶一郎さんの音楽の美しい旋律や、新人である服部樹咲ちゃんのあどけなさの残る横顔にも惹かれ、なにか「切なくて美しくて儚くて尊いもの」が観られるのではないかという淡い期

          『ミッドナイトスワン』と赤い靴 :光の中で踊るということ