きれいのくに(大人編)

稲垣吾郎さんが出演するということで観始めたドラマ「きれいのくに」。かなり話題になったみたいで、大河や朝ドラなどとは別の意味で、新しいことにチャレンジしようとするNHKドラマ製作陣の本気度が感じられた。

最初の2回、大人編は、過去に中絶と離婚の経験がある美容室経営者の40代の女性恵理(吉田羊)と再婚相手である銀行員の夫宏之(平原テツ)をとりまく物語。若くてあらゆる可能性に満ちていた20代の頃、恵理は当時の交際相手で最初の夫であるカメラマンの健司との子どもを妊娠するが、当時の健司には覚悟がなく、頼まれて仕方なく中絶することに。彼女はその時の心の傷と後悔を40代の現在までずっと抱え続けている。再婚当初は当たり前に営まれていた夫婦関係がいつのまにかなくなり、「今後いくらでもある」はずだった妊娠の可能性もタイムリミットが近づく中、恵理は焦りと虚しさの間で思い悩む。宏之には前妻との間に恵理と同じ誕生日の娘がいて、これ以上子どもを望んでいないのかもしれない。そんな「本音」もお互い伝え合えないまま、優しくさりげなく拒否を繰り返す夫と、不満と不安を募らせる妻。

そしてある朝、恵理が宏之の目にだけ若返って見えるようになる。。。

恵理が若返ったのは夫の欲望を再び掻き立てたかったから?そして2人の間の子どもがほしかったから?あの時あの時点まで、宏之と出会った頃の自分まで、さらには分岐点だった「中絶」の前の時点まで、彼女は戻りたいと願ったのかもしれない。そこからもう一度、生きなおしたかったのかもしれない。

しかし、愛されたいと若返り続けていたら、あと1回で彼の娘の年齢に近くなってしまう。彼女は彼の「娘」になりたかったのか。無条件に愛される娘には所詮「他人」である妻は決してかなわない。

彼の娘と誕生日が同じであるがゆえに、妻である自分が一番そばにいてほしい日に優先されない苦しみ。理解ある大人の女性を演じながら、実際の恵理は悶々としている。宏之から女としても家族としても中途半端に扱われていて、「自立した関係性」という響きのいい言葉の裏で、実際は「彼」にとって「都合のいい」、「彼」にとって「ここちのいい」関係でしかないのではないかと。

きっと、そんな女性は多いのかもしれない。

いずれにしても、宏之は「そのままの恵理でよかったのに」と思っている。恵理役の俳優が吉田羊という、だれがどうみても完璧なまでに美しく聡明な雰囲気の女性であるという点も、ここではポイントなのではないか。

啓発映画の最後 ーこれが高校生向けの「啓発映画」であったことが第3話で明かされるのだがー 若返り続けて自分の「知らない」容貌になってしまった妻を見て宏之は恐れ戸惑い、動揺する。「自分自身であること」を疑わない妻は、「みんな若い娘が好きなんでしょう?若返ったとしてなに?なにが不満なの?」と、夫に詰め寄り、とうとう怒りを爆発させる・・・

日本の男性が慢性的に過労状態にあることや、いわゆるそうした欲求の「ピーク」の年齢が男女でずれている(らしい)ということが、夫婦関係の欠如あるいはすれ違いといった問題とある程度リンクするのだろうと推察される。宏之はレス状態であっても、彼なりに「そのままの恵理」を愛していた(いるつもりだった)のだろう。

本当に一緒にいてほしい瞬間に、本当に一緒にいてほしい相手が「別のひと」といるというエピソードや、一番大切なひとにはなぜか怖くて触れられない、というエピソードは、第3話以降の本編(高校生編)の中でも繰り返し変奏されることになる。

つづく

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