ドライブインカリフォルニア ※ネタバレも少し
母親の影響で、小学生の頃から演劇が好きだった。とは言っても所詮は三重県の端っこに住まうカントリーガールな私なので、小劇場に通い詰めることなども出来ず、観に行くのは名の知れた劇団ばかり。マイナーな小劇団を追いかけるなどの深いハマり方はしていない。そんな自分がすこし残念。
そこそこ飽き性の私が幼少期から今の今まで夢中になって追い続けている劇団が「大人計画」だ。
幼い当時の自分は「私は演劇観賞が趣味です!」というハッキリとした自覚があったわけではなかったが、ただ他の本や漫画やドラマより、心の中にズシンと残るものがどれも演劇作品で、その中でも特に衝撃だったのが「大人計画」だった。
や、心に残るなんて、ちょっと可愛らしすぎる言い回しだな。私にとって、それらはある種の"トラウマ"だった。
今思えば、大人計画の作品なんて子供がみるような内容じゃない。コメディだけど、エロさと残酷さがてんこ盛りだし、ラストがどれも不条理すぎる。だから当時の私は、その劇中で語られることの直接的な意味を勿論理解してなかった。
ただそれでも、漠然とその物語で描かれていることが絶望と破滅だということは理解していた。
その救いようのなさは、幼い私が日常で見ていた「頑張れば最後は絶対報われる」みたいなお話たちとはまるで正反対で、この世の中の正体を見せつけられたような気がした。それがきっと私はショックで、そのことが忘れられなくて、だからこそ、夢中になった。
その頃からもう15年が経とうとしている。
2022/06/30
私は大阪へ「ドライブインカリフォルニア」の公演を観に行った。
初演と再演は記録映像で観たことがあり、本当に好きで好きで堪らない作品で、生で観れることはないだろうなと内心諦めていたので再演されるとなったときは軽く涙した。
初演は私が産まれた年に公演されている。つまりこの作品(他のにもこの年に公演された作品は2つもある)は私と同い年。勝手に感慨深い。
先程も述べたように、大人計画の作品は不条理な物語が多い。初期の作品は大半がそれだ。
救いのなさに、救われる、ような。行き切った絶望は寧ろ清々しく、そのどうしようも無さに笑える。
いや、笑うしか無いと言うのがきっと正しい。
大人計画。特に作家の「松尾スズキ」さんの描く物語は、
心のどこかで抱く世界への期待を綺麗にぶち壊してくれる。色々なことを諦めさせてくれるから、楽に生きられるそんな気がして、私を慰めてくれるのだ。
そんな救いのない物語ばかりの大人計画の作品の中で、「ドライブインカリフォルニア」は少し異質だ。
勿論この物語に登場するキャラクター達も、発想や行動がトンデモない方向性に向かってしまう破滅的な人々ばかりなのだが、それでも異質な理由は、この物語はラストに救いがあるということ。
救いのなさを求めていたけれど、やはりちゃんと救われる物語は、シンプルに心が喜ぶ。そして涙。
ここからはネタバレにもなるので注意。
私はこの物語の冒頭がものすごく好きで、松尾スズキさんの他の作品にも見られる書き方なのだけれど、主要キャラクター2人の対話から始まる。
展開される会話は、他人に聞かせる内容ではない、少し、いやかなり重い話題で、それをあたかも「いつものやりとり」みたいな軽い雰囲気で話し合うのが、なんとも不気味で堪らないのだ。
ドライブインカリフォルニアでは、兄のアキオが妹のマリエに、
「マリエ、今日も死にたくなかったか?」
「明日も死なないな?」
「無邪気な挨拶として、やってるんだ」
と問いかける。それに対してマリエは「死なないよ」と笑って答える。
この日常化した確認作業が、この家族の抱える闇の深さを一瞬で理解させる。この作り、この表現。凄すぎる。もうこの時点で、私は涙目なのだ。
ドライブインカリフォルニアで描かれるのは
「ほぼ崩壊しているのに絶妙なバランスで日々を維持し続けてきてしまった家族の悲劇とその先」
なのだが。そのほかにも、ストーリーで語られる作者の死生観が私は堪らなく好きだ。
人は死ぬと、自分が死んだ理由を完全に理解するために過去と未来を巡る。そして全てを理解し、消えていく。
マリエの亡息子・ユキオは、生きていた頃と幽霊になってからという2つの視点から、ストーリーテラーとして物語を進めていく。
結局は成仏して消えていくという、どこか無意味で儚げな死への考え方が、とても美しいと私は思うのだ。
自分も死んだ時はこうなりたいと心から思う。
あとこの作品を愛する人なら誰しもグッときたと思うんだけれど、このセリフ。※長いよ。でも読んでほしい〜
「僕たちは今、現在という砂浜に立っています。
そして僕たちはその浜で海を見つめています。海は宇宙の全体です。そこからは時間という名の波が常々押し寄せてきている。波は僕たちに触れ、そして宇宙に帰っていく。但し、その時確かに僕らに触れたという記憶がその波には含まれている。波はそして、宇宙全体と混ざる。だから次に来る波はただの波じゃない。例えその時僕たちが死んでいたとしても、それは僕たちが確かに存在したことを覚えいる波なんだ。」
「だからマリエさん、貴女は宇宙に対して無力な存在では決してない。貴女はユキオくんや、旦那や、全てを失ったと思っている。だけどそれは違う、失ったんじゃない。それらは、宇宙に混ざったんだ。貴女は孤独じゃない。貴女が今浴びている時間。時間は、彼らの記憶が少しずつ混ざった、貴女のことを愛している時間なんだ」
こんな素晴らしい思想を、あんなに絶望的な物語ばかりつくる作家が書くのだから、人の心の中って宇宙だなと思う。や、絶望を知ってるからこそ、辿り着いた思想なのかもしれない。
少し脱線するけど、この作品には星野源も再演から音楽制作などで関わっているのだけど、星野源の楽曲の「Hello song」の歌詞にある
「君と僕が消えた後 あの日触れた風が吹いて
その髪飾りを揺らす あの歌が響いた」
は完全にこのセリフから来てるんじゃないかと思っている。なんせ星野源は学生時代に、ドライブインカリフォルニアを自分で演出して学内で上演してるほど、この作品が好きなのだから。
あぁ、書きたい感想が山のようにある。けど長すぎてそろそろクドイ。ので一旦ここまでにしようと思う。
またどこかで、ダラダラ語り出すかもしれないので、暇のある人はどうか時間潰しにでも、この話に付き合ってくれたら嬉しい。