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思考と選択

少し前でしたが、ラジオに出演する機会がありまして。

もうホント私なんかの喋りを
電波に乗せてくださるなんて、
なんだか烏滸がましくって、嬉しいような
気恥ずかしいような。
まあそんな出来事があったんです。

その出演したラジオのコーナーが
「地元のインフルエンサーを紹介します」
みたいな企画で、当初は企画の詳細を
よく分かってなかったので、
それを知った私としては内心、
かなり焦ったのが正直なお話しでした。

「待って待って?インフルエンサーとは
 俗に言うインフルエンサーでしょう?
 インスタなどのホロワーが数千人はいないと
 鼻で笑われるあれでしょう?」

私のインスタを確認してみれば、
545人(当時)。わーん、土俵に登る以前に
土俵の梁に足をかけることさえ
許されないではないか。

そんな新手の公開処刑気分で収録&放送を
経たわけです。結果的に知り合いなどから
お褒めの連絡が届いたりで、自分の気分的には
大変グッドな経験になり得たのでしたが、、

インフルエンサーという言葉があまりにも
自分とは遠いところにいるのだと実感したことと、ではそもそもインフルエンサーとは一体
なんだろな、という考えに潜っていくことになりました。

インフルエンサーという言葉だけで一括りにするのもあれなんですが、言うなれば「カリスマ性」というものですね。
私の周囲にもカリスマ性を撒き散らし、
田舎なりに人々の憧れや注目を集めている人が
何人もいらっしゃいます。

カリスマ性の正体とはなんだろうか。

それを考えた末、私は彼ら彼女らの持つ
共通点に辿り着きました。
それは「人々の思考を止める」という能力。

「魅力的な人はセンスがある。
 センスがある人が素敵と言ったモノ、
 それはいいモノに違いない。その人の
 言うことはきっとどれも正しい。
 だって素敵な人だから」

といったように、モノを見て"良い"と
判断したのではなく、それを良いと言った
"ヒト"を見て、それを良いモノなのだろうと
思い込み、選択する、という流れ。
このような選択の仕方は、相手に趣味や思考が
流されている。つまり自分の思考を止められている。

そのことで思い出すのが以前、
テレビでマツコデラックスの番組を
見ていたときのこと。そのときのゲストは
コシノジュンコだった。

ロケもコシノジュンコ邸で行われてたんだけど、そこでお刺身料理が振る舞われていた。
でもそのときに用意された食器がお箸ではなく
フォークで、明らかに違和感があるのだけど、
マツコも「へぇ、フォークで食べるのねぇ」
とそのまま食べ進めてて、でもただ単に
お箸出し忘れていただけだったというオチ。
思考を止められることのすごく分かりやすい事例だと思った。

「そういうものなのか」
と、有無を言わさず、相手の考えを流す力。
これぞカリスマ性の頂点のあり方だと思う。

しかしながら、頂点とは言わずとも
"程よいカリスマ性"みたいなものを持ち合わせる
人もいて、彼ら彼女らは頂点カリスマ人とは
在り方が少しだけ違う。

勿論"程よいカリスマ人"も相手の思考を止める。
でもここで違うのは、止めているにも関わらず
止められた相手は、
「私もそのモノの魅力に
 以前から気づいてましたよ」

という「擬似共感」みたいなものを抱かせる。
そんな能力がある。つまりそれは、相手に
「自分で選択した」と思い込ませる能力。

「あー、わかる。私もそれ元々いいと思っていたんですよ。カリスマさんもそれをいいって思うんだから、ほら、やっぱりいいものなんだよね?
分かる分かる」

何が分かるんや。ていうね。
なんかすごく悪口っぽくなってるんですが、
何でこういう言葉が出てくるかって、私の中にもそんな俗っぽい感情があるからなんですよ。
だからこういう話を聞いて何だか胸の辺りが
チクリとしたり、イラッとした人は、
言うなれば私と同類。俗物というわけです。

ここでの一番のポイントは
「自分で選択したと思い込ませる」という点。

"程よいカリスマ人"は、憧れを抱かれると共に、それなりの親近感も同時に相手に抱かせている。物凄く頑張れば手が届きそうな、
それが"程よい"カリスマ性。

それにみんな基本的に、いいモノを選んだのは「自分」だと思いたいじゃない?
自分のセンスを信じたいじゃない?
大事なのはそこなんでしょう。

 そういえば昔読んだ伊坂幸太郎の作品
「魔王」(私は漫画の方しか読んでないけど)
でも、演説のシーンでこの考え方と似たようなセリフがあった。
(シーンの内容は説明すると長くなるので、読んでみてください。ちなみに最終巻です。)

魔王 最終巻

私ってば伊坂幸太郎と似た思考を
持ってるんじゃなない?ふふ……
という自己満足にて、この思考はあっけなく終了。その程度です、私という奴は。


例えば一冊の本があったとして、
それを魅力的な人間が
「オススメの本です」
と言えば、きっと周りは
「いい本に違いない」
と思ってそれを読み出すわけじゃないですか。

それで「私も読んでみました!」
って言いにいくんでしょう?
それが言いたくて読んだんでしょう。

でもそれを言ったのが私だったら、
あんたらは見向きもしないのでしょ。
私が言いたいのは、そういうこと。

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