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水質に問題はなくても、パイプが腐っていると、水は飲んでもらえない。

 僕の住んでいる京都市には、こんな商品がありまして。

 京都市が技術の粋を集めて作った水道水を缶に詰めて腐らないようにしたので、備蓄飲料としてご自宅にどうぞ、というわけです。これは災害対策であると同時に、京都市の水道事業のプロモーションでもあるわけです。

 京都に限らず、日本の水道水は生でも飲める、みたいなことをよく聞きます。それでもちょっと不安だから、やっぱり沸かして飲んでます、みたいなこともまた聞きます。この不思議な矛盾は一体なんだろうと。

 思うに「京都市の水道水は信じているが、うちのマンションのパイプは信じていない」というものではないかなと。パイプが錆びていて水が鉄臭い、みたいなことは古い建物ではときどきあることみたいで。

 で、なんでこの話かっていうと、人の言葉にも同じような事があるんだって話で。

 例えば、あなたに、ある特定の、同じ命題を口にする二人の人、AさんとBさんがいるとします。Aさんに対してあなたは、そうだそうだと賛同します。しかし、Bさんに対してあなたは、いやそれはおかしい、と反対します。言っていることは同じでも、あなたの反応は違ってくるのです。なぜでしょう。

 僕はこれを「パイプが腐っている問題」と呼んでいます。つまり、人と人との間を移動する言葉そのものの質は変わらないけれど、あなたとの関係性が違うんです。その関係性に信頼を置けるかどうか、っていうことなんです。

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