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「にぎわいの創出」とは「共地性と共時性の演出」だよねっていう話。

 まちづくり活動をする人々はしばしば「にぎわい」という言葉を好んで使います。「にぎわいの創出」というのが、事業の目標として設定されることさえあります。ではこのにぎわいとはなにか。辞書的には、「人出が多く、やかましいさま」であると説明されます。まちづくりに関して言うと、「ある特定の場所で、同時に多、数の人が、特定の財を共同利用している様子」と説明できそうだと考えています。これを格好良く言えば「共地性(場所を共にしているっぽさ)と共時性(時間を共にしているっぽさ)」と言えそうだと。この話は以前にここでも書いています。

 よくいわれる「まちのにぎわい」ってやつの正体はこれなんですね。まちづくりではしばしば「まちのにぎわい」を作ろう!なんていわれるんですけど、それってなんなんだっていうと、いまいちうまく説明できませんでした。しかし、複数人が「同時に」ワイワイとしながら集まって財を使っている様子が、まちっぽさの条件、つまり「まちっぽい」と認識される必要条件なんだとすると、説明できるようになります。にぎわいが失われた地域ににぎわいをつくろうとする営みとは、すなわちまちっぽさを失った地域を再度まちっぽく見せようとする営みなんだと喩えられるわけですね。
 「まちっぽさ」には共時性だから「一万人が代わる代わる使うインフラ」より、「20人が一斉に集まって使うインフラ」のほうが、よりまちを想起させやすい、つまり「まちっぽい」ように見えます。これは、まちづくりでお祭り系のイベントが好まれがちになる理由の一つとして説明できそうです。まちづくりやってます!っていう人がSNSで妙に人が集まっている様子をアップしがちなのは、人々の群れが同時に財を利用している様子が、まちっぽさそのものだからだと説明できそうです。要は、まちの定義にある「共有される財」ってものは、時間と空間も含まれるってわけです。

 同じ時間、同じ場所、同じ財を多数の人が一気に使うわけですから、それは必然的に「密」を生みます。にぎわいと密はほぼイコールの現象なんですね。

 そしてにぎわいがまちづくりでなぜ重要か、ということもわかります。人がたくさん集まるわけですから、当然「にぎわい」の辞書の意味通り、「人出が多く、やかましいさま」が生じます。人出が多く、やかましい状態で、私達の神経は興奮、緊張状態になります。まあ、いわゆる躁状態、軽いハイになるわけですね。

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