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「僕の人生観は、30歳超えた時に余生に入ったんです」って話。

 聞かれたら時々答えていることなんですけど。

 僕は大学を出た後、NPOで働きながら大学院に通ってまちづくりの研究をしてきまして。必死のパッチで博士論文を提出した30歳のとき、「ああ、人生、じゅうぶん満足したな」と思ったんですよね。本当に色んな人に親切にしてもらったし、研究したいこともさせてもらったし、十分すぎる恩義を与えてもらったと。十分幸せだったと。「欲しいものは大体得たなあ」と思ったんですよね。「いい人生だった」と。

 もちろん、「人生には君が知らないだけで、もっと楽しいことがあるよ」的なマウンティングもあり得るとは思うんですけど、ここはあれですよ、「足るを知る」ってやつで。もっと楽しいことは知らないかもしれないけど、満足することを知ったっていう。あの時僕は、これは心底本当に、満足したんですよね。あの時、フッとこの世から消えても、ああそうだよな、とうけいれられたんではなかったかというくらいに。

 だから、その後の時間は「余生」なんだと言っていて。その後、たまたま友人から今の仕事に誘われて、運良く採用されて、働く機会を与えてもらったんですけど、採用面接では「これまで色んな人に、たくさん大切なことを教えてもらったので、その恩返しで」というようなことを言った覚えがあって。それは、通りのいい方便として機能したと思いますけど、一方で割と本心に近い言い回しだったというか、自分の中でしっくりと腹落ちできた解釈だった気がします。

 だから、お仕事でまちづくりにお悩みの方の相談に乗ったり、その延長で講演でお困りの地域に出張したりするとき、そういうメンタリティが僕の中にはありました。

 その後、博士号を持っていて比較的時間に融通が効くっていう立場ゆえか、ラッキーなことに大学で学生の教育をするお仕事も回していただきまして。このお仕事も、「恩返し」というか「恩送り」っていう感じが自分の中にありました。自分が先人から与えてもらった御恩を後進にバトンタッチするっていうつもりでやってきたような気がします。

 そうこうして、僕もアラフォーに入って久しく、30代も間もなく終わろうとしている今振り返ってみると、「恩返しと恩送りの10年だったよなあ」と思ったりします。色んな人のお役に立たせてもらったり、若い学生さんに教育する立場をもたせてもらったり、本を書かせてもらったりと、余生にしては割と充実していたというか、楽しい時間だったなあなんて思います。

 で、やっぱり10年ってわかりやすい節目で。次の10年も恩返しの10年になるのか。それとも、違う10年になるのか。なんだかそんなことを考えたりしています。たぶん、梅雨の冷たい湿度のせいで、そんな内省的な気分になっているのじゃないかなあ、と想像してますが。

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