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町内会は、そもそも「なぜ加入率を向上させねばならない」のか?~あるいは租庸調のバランスはいかにあるべきか。

 町内会の加入率低下をどうするか、というのは、多くの町内会や、その支援者が悩んでいる問題です。先日、とある地域のまちづくり勉強会にお招きし、町内会経営の当事者の方々とお話する機会を得ました。

 この会で、学区の方々が、様々な困りを語ってくださっているのを聞いてたのですが、そこでは「町内会加入率をいかに向上させるか」ということではなく、はからずもその一歩手前の「そもそもなぜ町内会は加入率を向上させねばならないのか?」という疑問に対する、説明の一つを得たような実感がありました。

 そもそもなぜ町内会は加入率を向上させねばならないのでしょうか?当事者の語りを聞いていると、この問いに対する説明は、大きく三つの問題から説明することができそうです。以下、それぞれの問題について説明していきます。

1.上納負債と破産リスクの問題

 単位町内会が、複数集まって連合会を作っているという地域は少なくありません。上位の連合会は、単位町内会ではできないような共通のサービスを執り行ったり、地域を代表して議会や行政に民意を伝えていくというような役割を果たしています。

 一方で、単位町内会にとっては、上位の連合会への上納金が大きな負担として認識されているようです。上納金の算出根拠は地域によって微妙に異なるようですが、パターンとしては①町内会費の何割か、②固定費、③加入しているしていないにかかわらず当該地域に存在する世帯数に応じて、という場合がありえるでしょう。

 ①はまだしも、②や③の場合、きついです。上納金額は加入率によって変わらないのに、当然ながら会費を払ってくれるのは加入世帯のみなので、加入率が下がれば赤字、破産です。単位町内会は加入率を必死で上げなければならなくなります。無論、①の場合でも、会に加入しているが会費は未払い、という会員が増えれば増えるほど、やはり破産のリスクは生じます。責任感の強い会長ほど、なんとか頑張って加入率をあげようとか、集金をしようといった考えになることでしょう。

 この「上納金を完納せねばならない」という負債への責任感と負担感が、翻って町内会員になって会費を払うということをせずに、会のサービスを利用するフリーライダーへの不満感へと転化するようです。なんであいつらは町内会のサービスを利用するだけしておいて、対価を払わないのかと。

 結果、本来ならば町内会がサービスを届けたい相手であったはずの地域住民との間に葛藤を生じてしまいます。つまり、嫌いになっちゃうわけですね。相手のことを嫌いになっている状態で、さらにサービスを届けたり、会に入ってくれと依頼せねばならないわけです。ますますつらいです。さらにそういう気持ちは顔に出ますから、そんな顔つきの会長が、入ってくれと言ってくる会に、わかりました、入ります!と気持ちよく答えられる人も少なくなっていく、という悪循環が生じてしまうわけです。

 一方で、上位の連合会への求心力が失われている地域では、その負担を回避するために、「連合会を脱会する」という選択を行う町内会も現れます。確かに、そうすれば会費を必死で集めねばならないという負担や、破産のリスクは回避できますが、そうすると地域組織間の連帯が途切れ、分断していくことにつながってしまいます。

 京都市の地域コミュニティ活性化懇話会における、町内会長のボヤキなんかを見ていると、会計状況をきちんと単位町内会に報告しない連合会がある地域では、自分たちの上納金が何に使われているかわからず、求心力がますます低下していく、ということが起こっているようです。

 さて、私たちはしばしば、地域活動をボランタリーな活動としての側面からだけ見がちです。町内会は地域のベーシックな公的サービスの供給者であり、加入率を高めることで、防犯や防災、意見集約などの公的サービスがより浸透、持続しやすくなるわけです。だからこそ加入率を高めるのは、とてもよいことです。しかし、そういう視点からだけ見ていると、こういう「上部組織への負債と破産のリスクを抱えた経営体」としての町内会の側面を取りこぼしがちです。しかし、この側面を理解することで、どうして町内会が必死で加入率を高めねばならないか、そしてなぜその態度が非加入住民から警戒されるのか、という理由が説明できるようになるわけですね。

2.日本の行政サービスの不足を地域組織が補っているという問題

 よくお伝えしていることですが、日本の人口に占める公務員の比率は先進国の中では特に低いことで知られています。例えばヨーロッパでは軒並み30%強、あの小さな政府と言われるアメリカでさえ22%もいるのに対し、日本は18%程度にとどまります。日本の公共サービスは、少なくとも公務員数に関して言えば、「すごく小さな政府」であるようです。詳しくはこちらの記事もご参照ください。


 今回の集まりでも、町内会の当事者が語っておられたのは、例えば「地域の道路が暗いから電灯を地域で作る」というようなことを日常的にされているということでした。本来、電灯というのは公共財ですから、自治体による行政サービスとして提供されていいはずです。しかし、それでは不十分なので、地域組織で補う、というわけです。

 この話は、地域組織の力量と自主性の高さを示す美談として理解する事も出来ますし、行政や支援者の立場からは、どうしてもその側面を強調して説明しがちです。しかし、今回町内会の当事者の語りからは、行政サービスが不足していると理解されている、ということが否応なく見えてきたわけです。

 例えば、先ほどの町内会のフリーライダー問題でも、果たしてそれは町内会が悩むべきことなのでしょうか。本来、地域が悩まねばならないようなことだったでしょうか。わかりやすい例を紹介すると、有名なところですが宮崎市では「コミュニティ税」という税制を一時採用していました。これは以下のような税制です。

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