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ムラとしての町内会と、イエとしての世帯の話

 こないだ、学会の研究会ですげー面白い話になって。ちょっと自分の中の整理のためにメモをしようと思うのだが。「町内会が世帯単位で成り立っている」ということについて、だ。

 僕なんかすっかりなまくらなので、そのことにまるで疑問を感じていなかった。町内会は世帯単位での参加だよね。うん。という、当たり前のものとして受け止めていた。完全になまくらだ。

 で、研究会で、「それって不思議ですよね」っていう論点が出てきて、うぉー、ほんまや、なんでそれに気づかなかったんや、となった。キレキレの議論っていうのはこういうやつだ。

 こっからは、確かなデータではなく、これから考えるための手がかりというか仮説として考える話なんだけど。おそらく大元にあるのは、家制度っぽいのよね。これ。社会学の古典、イエムラ理論ってのがあってね。まあ、それはいい。中根千枝とかね。縦社会の人間関係。

 イエっていうのは、戦後の「標準家族」に慣れた我々は意外に感じるが、いまでいう「会社」だった。法人だったんだね。で、イエは必ずしも血縁で継承されるものではなく、江戸時代に長子相続が標準化された後も、出来が悪ければ、有能な人を養子にとっていたりしたみたい。で、そのイエの集合体がムラで。だから今のイメージで言うと、ムラっていうのは「経団連」みたいなところがあったんじゃないかという気がする。企業連合なんだね。

 で、「イエ」はデカかった。親族集団だけでなく、使用人なんかも含めていたらしい。やっぱり、いまの「会社」のイメージが一番捉えやすい気がする。

 で、このムラ(自然村)が、後に明治に入って「行政村」の単位となり、さらに昭和の翼賛体制下で町内会のもとになっていく。その過程で、ムラの統治の形がガラッと変わったとは考えにくい。細部を変えながらも、継承されたと見るほうが自然だろう。

 一方で、近代に入ってイエが解体していったとされているんだね。でかい会社だったイエから、消費と再生産のための小さな器へと変わっていく。でもイエを会社と見るなら、サラリーマン家庭とは、でかいイエの構成員であるという意味では今とさほど変わらない。このあたりは、昭和の企業論では割とオーソドックスな話であった。

 で、町内会に話を戻すと、町内会っていう組織も、イエムラの秩序を継承しているから、イエ、すなわち世帯単位での参加がベースなんだけど、イエのほうが様変わりしたってことなんじゃないかなと。つまり、日本型福祉社会における標準世帯を、かつての意味での「イエ」と置き換えるということをしてきたんじゃないか。

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