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親切な人って、「いい人」なんじゃなく、実は「すごく頭のいい人」なんじゃないかって話。

 見ていて「ああ、頭いいなあ」と思う人っているっすね。じゃあここでいう「頭の良さ」ってなんだろうと。頭の良さの目安って、いろいろあると思うんすけど、僕にとってはその一つに「何手先まで読めるか」っていうのがあるんすね。目の前の歩を取ると一瞬得するけど、その次の手で詰む、みたいなことを読めるかどうか。

 例えば僕が5手先まで読めるとして、3手先で詰むような手を打つ人はイマイチだなあてなるわけですね。だけど、お、5手先まで詰まない手を打ってきたな、とわかると、自分と同じくらい先読みできるんだなあってなります。反対に「え?なんでこの手なんだ?確かに詰みはしないが、何のためにこれを…?」みたいなことをする場合、僕には意図が読みきれない程度に先まで読んでいる可能性があって、そこに「頭の良さ」を感じてワクワクしますね。もちろんまったくのあてずっぽうである可能性もありますが。

 同じような話で、「どれくらいの数の他人の事情を踏まえて思考できるか」ということもあるっすね。例えば「わたしとあなた」のゲームがあるとして、「あなた」を幸せにするために「わたし」を安易に犠牲にするのは、あなたは得しても私は損するので、ゲーム全体の幸福総量としてはゼロサムになって変わらないわけです。しかし、自分も同時に幸せにすると、幸福総量が増える。

 同様に、あるゲームに置いて、考慮すべき人数はどんどん増えていきます。その時、どれくらいの人数の他人を変数に入れて思考できるか、ということも頭の良さになるわけです。ちょっとのデータでいっぱいいっぱいのコンピュータより、大量のデータをさばけるコンピュータのほうが性能いいっていうのと同じで。自分のことで手一杯の人もいれば、全人類まで視野に入れて思考する事ができる人もいる。で、たくさんの人の事情を考慮して手を打てる人は、やっぱ賢いなあと思うんすね。

 この話で言えば「自分さえ良ければいい」という思考って、よく善悪とか倫理とか性格の問題にされがちなんですけど、たくさんの人の事情を考慮する思考の負荷にどれだけ頭が耐えられるか、許容できるか、みたいな、頭の良さの問題としての面も多分にあるように僕には思えるんすね。沢山の人の事情を考慮するのって、大変思考負荷がかかるものだと思うので。

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