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ほぼ毎日ノートをはじめます

私がフォローしている方の中では、毎日noteを書いている方が結構いらっしゃる。

私もやってみたいと思いながら、自分にはちょっと向いてないかなと思っていた。


やってみたいと思うのは、アウトプットの機会を増やしたいから。
今は、インプット対アウトプットが9:1くらいの割合だ。でも、そんなにインプットしても蓄積できないので、いつのまにか流れていってしまう。

それは、それでよいと思う。本の内容を忘れてしまったとしても、本を読んでいる間、ひとときでも幸せを感じられたなら、たぶん本を読む価値はそれだけであると思うから。

でも、それだけでは少しもったいないような気もする。

せっかく触れた言葉、感じたこと、考えたことが、流れてしまう前に掬い取りたい。

そして、最近論文を先生や先輩に添削してもらうたび、自分の表現の拙さを実感している。ぼんやりとした文章が、美しく明解な表現になっていく快感を覚える。
表現力を磨きたい、と心の底から思う。

だから、毎日noteを書いて、アウトプットの機会を増やし、表現力を磨きたい。


でも、その一方で毎日noteをつづけるのは、大変そうだなと思う。
連続投稿をしている人を見ると、マラソンをしている人をみているような気持になる。
すごいなと思う気持ちと、ちょっと自分で走っているところは想像するだけでもほんのり苦しい。

それに、私がほぼ毎日noteを書いても、読む方にとっては、玉石混交というか(私の記事に玉があるかどうかはさておき)、これまでより読みにくくなってしまうような気もしていた。

けれど最近読み直した本にこんな一節があった。

何を書くかというアイデアは、「考えているとき」にではなく、「書いている最中に」浮かぶ

ロルフ・ド・ベリ『Think clearly』(安原実津訳)サンマーク出版、2019年、p.23

本当にそのとおりだ、と思う。
考えているばかりで、良い文章を書こうとしても書けない。
書いているうちに疑問点や曖昧な点があぶり出されていくことが、今まで何度もあった。

考えて考えて、良い文章を書こうと思うより、毎日とりあえず書いたほうがきっと良い文章を書けるようになるのだと思う。


だから、私は「ほぼ毎日ノート」を書くことにした。
糸井重里さんを彷彿させる名前だけれど、糸井さんは「ほぼ日刊」と銘打ちながら、毎日発行している。
私は、ほんとうに「ほぼ毎日」であって、連続投稿は目指さないし、休むときは休むつもりだ。精神的な負担が大きくなると、書くことが辛くなってしまう気がするから。


これまで以上に肩ひじを張らずに、感じたことを感じたままに綴ることになると思う。
まとまりがないな、という日もあるかもしれない。


でも、少しずつ、思考を整理して、表現を磨いていけたら、と思っている。