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大叔母の品格

実家に帰省していた夜、「明日、初江おばさん(仮名)の家に一緒に行かないか」と父から誘われた。

初江おばさんは、父にとっての叔母。私にとっては大叔母に当たる。

私がいいよ、と答えると、父は少しほっとしたように見えた。

我が家は、親戚との付き合いが希薄だ。
特に父方の親戚とは、ほとんど連絡を取り合っていない。

もともとお盆や法事の際に顔を合わせるくらいだったが、私の祖父母が亡くなってから、さらに顔を合わせることが減った。
伯父が永代供養をして、墓をなくしてから、墓参りに行くことすらなくなってしまった。

私が初江おばさんと会うのは、祖父母の葬儀のとき以来だから、10年以上ぶりになる。

ただ、親戚付き合いが希薄になっても、父は初江おばさんとは会っていた。

「初江おばさんは、俺が20代の頃入院していたとき、毎日自転車を漕いで、見舞いに来てくれたんだ」

「ももが生まれたときも、『しばらくは、家で毎日ご飯を食べていきなさい』と言って、毎日ごはんを用意してくれた」

車内で、初江おばさんとの思い出を話す父は、どこかくすぐったいような顔をしていた。

3歳で実母を亡くした父にとって、一緒に暮らしていた初江おばさんは、お姉さんのような、お母さんのような存在だったのだと思う。

初江おばさんの家に着くと、おばさんはパタパタと玄関先まで走ってきて、「あらあら、まあまあ、久しぶりねぇ。ももちゃん、いらっしゃい」と記憶と違わぬ元気のよさで出迎えてくれた。

久しぶりに会う初江おばさんは、私の記憶よりも、いくぶんふっくらとして、以前から綺麗な人、と思っていたけれど、ふんわりとやわらかな雰囲気をまとって、10年前よりもさらに綺麗になったような気さえする。

おばさんは、私の拳ほどの大きさのある苺を用意してくれていた。
私が苺を頬張っているあいだに、次から次へとテーブルのうえにおいしそうなお菓子が並ぶ。

「いっぱい、いっぱい食べなさい。ももちゃんのために買っておいたんだから」と笑う初江おばさんに、「いっぱい、けえ(食え)」と言いながらたくさんのごちそうを振る舞ってくれた祖父の姿が重なる。

私も父もそれほどおしゃべりではないため、自然と、饒舌な初江おばさんの話を二人で聞くかたちになる。

父は聞き飽きた話かもしれないが、私は初めて聞く話が多く、初江おばさんが話し上手なのも相俟って、とても面白かった。

初江おばさんのように上手には語れないが、そのときの話をまとめてみたい。

初江おばさんは、結婚してしばらく関東に暮らしていた。あるとき、気分が悪くなり、もしかすると、と思った初江おばさんは、産婦人科に行く。しかし、その予想は外れていた。

ところが、気を落とした初江おばさんのことを元気つげようと思ったのか、初江おばさんのことを気に入ったのか、産婦人科のお医者さんがここで働いてみないかと初江おばさんを誘う。ここでたくさんの赤ちゃんを見ているうちに、あなたのもとにもきっと赤ちゃんがやってきますよ、と言って。

初江おばさんは、誘われるまま、産婦人科で手伝いをするようになる。
といっても、おばさんにはなにも資格があったわけではないのだが、それでもいろいろとやることがあったらしい。そうこうして働いているうちに、初江おばさんのもとにも本当に赤ちゃんがやってきた。

初江おばさんは、自分で働いた稼ぎで、湯船を買った。当時の家には、風呂場があっても、湯船は自分で買わなければいけない仕組みだったという。赤ちゃんが生まれ、関東から地元の宮城へと戻ってくることになるときにも、その湯船を一緒に持ってきた。ところが、新しい住まいには最初から設置されていたため、湯船はもう必要のないものとなる。不要となった湯船は、初江おばさんの旦那さんが、知り合いにあげてしまった。

しかし、初江おばさんへの断りなく、湯船を譲ったことが、初江おばさんの気に触った。その湯船は、初江おばさんが一生懸命働いて、ようやく手に入れたものだったから。そして、怒った初江おばさんは、その日、家出をする(!)

「だって、悔しいじゃない。あげてもいいか、って聞いてくれたら、喜んであげたのよ。もう使わないんだし。でもね、勝手に、ほいっとあげちゃうんだもの。私の湯船なのに。」

ぷりぷりと怒る初江おばさんは、まるで昨日起きたことを話すように、悔しそうだ。

初江おばさんは、面白いことが好き、退屈なことが嫌いだ、と言う。誰しもそうだとは思うが、その度合いが並ではない。

「あんまりにも、男の人たちが麻雀を楽しそうにやっているものだからね。私もどんなもんかしら、と思って。こっそり、4人分ひとりで全部並べて、少しずつ動かして勉強したの。そうしたら、おもしろさがわかってきてね。そのうち、誰よりも強くなっちゃったのよ。」

「病院って、退屈でしょう。待つのが長いじゃない。だからね、私、ほとんど病院にかかったことがないの。病院に付き添いで行くのも本当に嫌でね。しかたなく数独とかクロスワードとか持っていくのね。そうすれば、なんとかかんとか過ごせるわ。」

「最近は、車で遠くに出かけるってことも少なくなったけど、このまえ近所の食堂に食べに行ってみたら、意外とおいしいのよ。近くにもおいしいお店ってあるものね。」

「遠くに出かけられなくてもね。庭の木にスズメがちょんちょん集まってくるのよ。たまにトンビもやってくるし。家にいながらでも、バードウォッチングができちゃうの。」

初江おばさんの話は、人生を楽しむヒントに溢れていた。

最近、初江おばさんの旦那さんの認知症がすすんでいるという。

何度も繰り返し同じことを言うほかは、今のところ日常生活を送るのに支障はないが、今度支援をしてもらうかどうか相談してみようと思っている、とおばさんは話す。

「このまえは、自分の隠していたへそくりをどこに隠していたのか忘れてしまったみたいでね。使ったことを忘れてしまったのかもしれないんだけど。あまりにも気を落としているから、お小遣いをあげたら、すごく喜んでいたわ。『でも、あなた。私が盗んだんじゃないかって疑ったりしないのね』って言ったら、こう言うの。『お前がそんなことをするわけがないことくらい、俺だってわかる。もし、お前を疑うようになったら、そのときは相当ボケが進んできたんだと思ってくれ』ってね。」

おばさんは笑って話していたけれど、私は胸がつまった。

おじさんがおばさんを疑わなくてすむ時間がこのまま少しでも長くつづいてほしい、と願わずにはいられなかった。

父は「せっかく車を出せるから、おばちゃんの好きなところでごはんを食べよう」と誘うと、初江おばさんは、ぱっと目を輝かせて、ある中華料理店の名前を挙げる。

そのお店は、私も父も大好きなお店だった。

中華料理店に着くと、おばさんは、「かに玉がおすすめよ。私はいつもはふたりで半分こして食べるんだけど、一度ひとりで食べてみたかったの」と言って、かにチャーハンとかに玉を注文していた。余程かにと卵が好きなのだろう。

「かに玉は絶対頼みなさい」と言われたため、私はエビチャーハンを、父は五目そばを頼み、かに玉は父とふたりで分け合って食べることにした。

エビチャーハン
かに玉は撮り忘れた

大量のおやつをおばさんの家でいただいた私は、正直なところそれほどお腹が空いていなかったのだが、

「おいしいねぇ。しあわせねぇ」とにこにこしながら、本当においしそうに食べる初江おばさんと一緒だと、いつも以上においしく感じられた。

そのお店ではじめて食べるかに玉(私はいつもエビそばかエビチャーハンを頼む)は、たまごがふんわりととろけて、かにのうまみをぎゅっと吸い込んでいて、たしかにこれならいくらでも食べられそうだ。

おばさんは、お茶を注ぎに来てくれた店員さんに、とても丁寧に礼を言う。相手の目を見て、にっこりとほほえみながら。

こういう一つ一つの振る舞いが、初江おばさんを美しい人たらしめているのだろう。


食事を終え、おばさんを送り届け、私と父は帰路につく。

「おばさんの話をずっと聞かされて、疲れたんじゃないか」と父は少し心配そうに私に尋ねる。

「ううん、すごく楽しかったよ。おばさんに会えてよかった。いい日だったよ」と私は答えた。

それは、遠慮でも偽りでもなく、本心だった。
覚えていたいと思うことがたくさんあったから、少し頭は疲れたけれども。

父は、「そうか」とうれしそうに言う。

たまには顔を見せに行かないとな、と言いながら、父はわりと頻繁におばさんの家に行くが、きっと父もおばさんの顔が見たくて行っているのだろう。


その人に会えた日は、それだけでいい日になる。

そんな人が身近にいてくれるしあわせを噛みしめながら、私は窓の外に流れる故郷の景色を見つめていた。



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