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この世界の脇役にすぎないとしても

小学生の頃、クラスのみんなそれぞれに目があって耳があって、同じものを別の角度から見たり聞いたりしていること、そしてみんなそれぞれの家での暮らしがあることを思うと、なぜか奇妙な気持ちになった。

いまの私は、そんな気持ちを抱いていたことは覚えているが、それを奇妙だと思う感覚は失っている。

みんなそれぞれの生活があること、みんながそれぞれの物語を紡いでいることに、私はもう何の疑問も抱かない。
あたりまえのことだと思っている。

あの頃、それを奇妙に感じたのは、当時の私には、自分のまわりの小さな世界しか存在していなかったから、そして、自分を中心に世界が回っていると錯覚していたからかもしれない。


それが幻想だと気づいたのは、中学生の頃だった。

私は中学受験をして、中高一貫校に入った。

小学校では、1番成績がよく、絵でも、作文でも、クラスの中から選ばれるのはいつも私だった。

けれど、中学校に入学してからのはじめての試験で、私は学年で80人中12番だった。

この小さな学校ですら1番になれないと知って、世界がぐるんと回転するような気持ちだった。

悔しかったから勉強して、なんとか3番以内に入れることも多くなったが、高校を卒業するまで、学年1位をとれたのはほんの数回。全国模試で名前が載るほどの成績をとったこともない。

作文も、コンクールに出される作品として私のものが選ばれたことは、中高を通して一度もない。

小学生の頃は、学級委員や委員長に選ばれていたけれど、中学からほとんどリーダーシップを発揮する立場には選ばれなかった。

私は、クラスの中心で大きな声で発言し、先生たちに気に入られるような生徒ではなく、教室の片隅で本を読んでいる目立たない生徒になった。


自分の身の程を知って、初めは戸惑った。

でも、やさぐれるような気持ちにはならなかった。

1番にはなれなくても、リーダーにはなれなくとも、私のやるべきことをやろうと思えたのは、友人たちの影響が大きい。


中高時代の私の友人たちを、ほかの人は、天使とか女神と呼んでいた。
(私はいつも一緒にいたからそう呼ぶのは気恥ずかしくて、面と向かっては言えなかったけれど、心の中でそう思っていた)

みんなびっくりするほど優しくて、なんというか、擦れたところのない人たちだった。

物語の主人公にふさわしい人たち。
心優しい、明るい、おひさまのような人たちだった。

自分が主役ではないと知ることは悲しいことではなかった。
物語の主人公のような友人たちと一緒にいられるだけで幸せだった。


大学に入っても、その気持ちに変わりなかった。
大学で出会った友人も、物語の主人公のような女の子だった。
そこにいるだけで、つい目で追ってしまうような魅力を持つ子。
私は大学時代のほとんどをその子と過ごした。

いつもその子に光が当たっているような気がしていたけれど、私はそんな光を見ていることに満足していた。


そんな私だったから、同じ研究室に所属していた別の友人が「助演女優賞を取りたいんだ」と話してくれたときにドキッとした。

その子は、女優を目指していたわけではなくて、喩えとして「助演女優賞」という言葉を使った。

飲食業界への就職を決めていた彼女は、自分のお店に来るお客さんが主人公だとしたら、自分は助演女優賞を取れるような接客をするのが目標なんだと話していた。


私は、その台詞に痺れた。

「ナンバーワンの店員になって、ゆくゆくは店長になりたい」とかじゃなくて、「助演女優賞をとりたい」というキザな言葉が彼女にとても似合っていた。


私はといえば、自分が主役にはなれそうにもないな、とただ諦めていた。

悟ったフリをしていた。

主人公のような友人と一緒にいられるだけでしあわせだと思いながら、主役になることも、どこか諦めきれずにいたかもしれない。

「助演女優賞をとりたい」という言葉に、そんな自分のかっこ悪さを突きつけられたような気がした。

ほかの人を押し退けて主役にのしあがろうとするのではなく、自分の目の前の人を主役にしながら、自分自身も輝ける、そんなこともできるのかもしれないとそのとき知った。



いまの私は、学生のとき以上に、自分はこの世界の端役にしかすぎないという現実を実感している。輝いている人を見て、羨ましいと思ってしまうこともある。

でも、私には私の役がある。

私のことをお姫様のように大事に扱ってくれる夫といるときは、私自身も主人公のように感じる。

だが、私以外の誰かが主役の物語と、私の物語が交差するとき、私はその人にとってただの脇役だ。


他人ひとには他人ひとの物語がある。
そのことを忘れずにいたい。

そして、誰かの物語と私の物語が交差するとき、私は相手を主役だと思いながら接したい。

それは目立たないようにするということではなくて、友人の言葉を借りれば「助演女優賞」をとれるように振る舞いたいということ。

決して出しゃばるわけではなく、それでいてハッと印象に残るような。

そのために、よく聴いて、よく観て、よく考えて、私という役を精一杯演じたいと思うのだ。



今日は#1ヶ月書くチャレンジの「Day22 人付き合いで1番大切だと思うこと」というお題で書きました。

まだ私自身がきちんとできているとは言えないことですが、人付き合いにおいて、こうあれたらいいなという思いを書いてみました。