先生はちいさな魔法使い
高校生の頃、先生のことは好きでも嫌いでもなかった。
先生に対して、特別な感情があったわけでも、特別な思い出があるわけでもない。
たぶん先生も、私のことなど忘れているだろう。
私は、教室の中で目立つ子ではなかったから。
けれど、先生の言葉をいまでもときどき思い出す。
それは、私だけに向けられた言葉ではなく、教室のみんなに向けられた言葉だった。
言葉というよりも、あれは口癖と言ったほうがいいかな。
その先生というのは、二人いて、ふとした瞬間にその二人の口癖が、それぞれの声で再生される。
一人目は、古典と現代文のN先生。
堺正章さんにちょっと似ているその先生は、みんなをニックネームで呼んだ。勝手にニックネームをつけるわけではなく、みんながどう呼ばれたいのかを最初に聞いてくれた。
優しくて穏やかな先生だった。
その先生は、授業中、生徒が答えに窮していると、決まってこう言う。
「ひとりで悩むなよ」って。
その人の名前を呼びながら。
でも、それがかっこつけているわけでも、大げさなわけでもなくて、とても自然で。それまでは難しい顔で悩んでいた人も、その言葉を聞くとふっと緊張がほどける。
ひとりで悩むのをやめた人は、キョロキョロと周りを見渡して、助けを求めることができた。
授業中の受け答えを、成績に反映させている先生もいたけれど、N先生はメモをとったりしていなかった。
みんなで考えて答えを導き足せばいいよってスタンスだった。
高校生のときは、その言葉をN先生の授業時間以外意識することはなかったけれど。
大人になった私は、ちょっとN先生の言葉に縋りたいときがある。
「ひとりで悩むなよ」なんて。
そんなことだれかに言われなくても、わかってる。
でも、だれかに言ってもらえると安心できる言葉ってあるんだな。
だから、私は一人で悩んでいるとき、N先生の声でその言葉を反芻する。
そうすると、あの緊張がほどけた瞬間に帰れる。
おまじないのような、魔法の言葉だ。
二人目は、世界史と倫理のT先生。
精悍という言葉が似合うような男前のT先生は、目力も身振りも話し方もいつも力強くて堂々としていた。先生は、いつも進路指導部室にいて、受験生を持ち前の力強さで励ましてくれた。
進路指導室前のホワイトボードには、いつも同じ言葉が先生の筆跡で書かれていた。
「なんとかなる、大丈夫」と。
受験期には、あの部屋を通りかかるたびあの言葉に励まされていた。
T先生になんとかなると言ってもらうと、本当になんとかなる気がした。
でも、その言葉に励まされたのは、受験生のときだけじゃない。
留学前に不安に押しつぶされそうになっているときも。
私は、仕事を辞めて、心を病んでいて、もう何もかも投げ出したくなっていたときも。
今も、先の見えない毎日を苦しく感じるときには。
T先生の言葉を思い出すと、いつもかすかに光が灯る。
高校生の頃の私に、10年後にも、N先生やT先生の口癖を思い出すと元気が出るんだよと言ったらどんな顔をするだろう。
「え、何で?」って笑われるかな。
それとも、「大人も同じように悩んだりするんだね」と。
少し残念そうに、そして、少し安心したように言うのかもしれない。
たぶんこれから先も、ときどき二人の言葉にお世話になると思う。
だけど、これからは、その優しい魔法のような言葉を自分のために使うんじゃなくて。
目の前で悩んでいる人に、私もそんな優しい言葉の魔法をかけてあげられるようになりたい。