ただ、ありがとうを、ここに置いておくね
なにを書くかよりも、なにを書かないかに、その文章の書き手の品格が出るのだという話をよく聞く。
そうだとすれば、今回のような記事は書かないほうがいいのかもしれない。
でも、私は書くことにした。
noteをつづけていると、心が冷たくなる出来事も、ときどきある。
ときどきといっても、それはごくまれで、ほとんどの場合、温かいきもちになる。むしろ、どうしてこんなによくしてくれるんだろう、と思うことのほうがずっと多い。
でも、というか、だからこそ、冷たいきもちになるとき、かなり動揺してしまう。
棘を感じるコメントに出会ったとき、優しいコメントをくれた相手からブロックされていることに気づいてしまったとき、仲良くしていたと思っていたのにフォローが外れているとき。
こういうとき、どういう対応をするのが正解かわからない。
何か相手に嫌われることをしてしまったのか、傷つけてしまったのか、文章がつまらなかったのか、つきあっていても利益がないと思われたのか、と悶々としてしまっていた。
でも、そういう悶々としている時間をなくすことにした。
もちろん、自分に改善すべきことがないか、反省する機会にはする。
けれど、悶々と考えることはやめる。
長い時間、そのことに囚われると、自分だけでなくて、相手のことまで責めてしまいそうになるから。考えても答えはわからないのだ。
そのかわり、いまはただ「ありがとう」と思う。
考える機会をくれてありがとう。
これまで私と関わってくれて、ありがとう。
ただ、そう思う。
みんながそう思う必要はまったくないし、相手だってありがとうなんて言われたくないかもしれない。
ただ、私の自己満足で、言いたいだけ。
私から直接の言葉は負担になるかもしれないから。
ただ、ありがとうを、ここに置いておきます。
いま私と仲良くしてくれる人、そばにいてくれる人たちも、これから先、私と距離をとりたくなったり、意図せずとも疎遠になってしまうこともあるかもしれない。
でも、私は、そのときも、仲良くしてくれたこと、そばにいてくれた時間があったことを、ただ感謝したいと思う。
仲良くしてもらえることが、当たり前ではないから。
私と仲良くしてくださっている方々には、本当に感謝しかないです、と伝えられるうちに伝えておかねば。
いつも本当にありがとう。
だからって、いつでも気軽に離れてね、というわけではなく、できればこれからも仲良くしてほしいわけだけれど。