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つづけること、やめること。

しなやかに、生きたい。
わたしは、いつもそう思っている。
曲がらず、屈せず、ではなく、
ときには、風に吹かれて、
曲がるときがあってもいいと思っている。



「ほぼ毎日note」をはじめて、1か月が経った。

何を書くかというアイデアは、「考えているとき」にではなく、「書いている最中に」浮かぶ
ーロルフ・ド・ベリ『Think clearly』(安原実津訳)サンマーク出版、2019年、p.23

わたしは、この言葉に触発されて、表現力を磨くため、そして、アウトプットの機会を増やすために、「ほぼ毎日note」を始めた。

ほぼ毎日noteを書きつづけていたら、たくさんの嬉しい変化があった。

けれど、私は、ほぼ毎日noteを更新するのをやめようと思っている。


なぜかというと、上にあげた本にはつづきがあって、こんなふうに書いてあるからだ。

最初の条件設定ばかりを重視し、修正の意義を軽んじすぎている。
重要なのは「スタート」ではなく、「修正技術」のほう
ー前掲書、pp.30-31。

私は、ほぼ毎日noteを書いていて、いいなと思ったこともたくさんある一方、これをつづけるのが自分にとって本当によいことなのか疑問を感じ始めている。
だから、頑なに「ほぼ毎日note」をつづけるのではなく、すこし軌道修正しようと思った。



今日は、1か月間の感想や反省とともに、これからの私のnoteの方針について語ってみたい。


ほぼ毎日noteをやってみて


変化と反省
これまで、週に1回くらいの更新しかしていなかった。
これまでと比べて、一番の変化は、毎日noteで誰かと語り合えるということ。
私が一か月に更新した記事のすべてにだれかからのコメントがあった。
私の発した言葉に誰かが答えてくれる。
それは、けっして当たり前のことではない。
私の記事は、いつも文章が長いから、読むのに時間を使う。
それなのに、読んでくださる方がいる。そのうえ、心を込めてコメントをくださる方もいる。

だが、最近、私は、自分の記事を書くことやコメントに返答することに時間を使い、あまり他の方の記事をじっくりと読めていない。

私のために、時間を使ってくださっている方や、心を遣ってくださっている方のために、私も時間や心をつかいたいと思った。


読書と絵を描くこと
毎週「わたしの本棚」という読書記録と、芸術に関しての連載「Art Saryo物語」、そしてイラストの記事を更新すると宣言したことで、読書や絵を描くモチベーションが高まっている。
宣言しなかったら、いつまでも更新を先延ばしにしてしまうところだったが、期日が決まっているとその目標にむかって頑張れた。

その一方で、毎日更新となると、記事執筆の時間が、読書や絵を描く時間を圧迫しつつある。

そして、先日お伝えしたように、私には今年中に成し遂げたいこともあるため、時間を確保する必要がある。

記事一本当たりにかける時間を減らそうと何度も試みたけれど、私には難しかった。


以上のことを踏まえ、これからのnoteをどう更新していくか考えてみた。


これからのnote

これからは、「ほぼ隔日note」にしようと思う。

ラインナップは以下の通り。

日 Art Saryo
月 (おやすみ)
火 読書記録
水 (おやすみ)
木 お絵描き
金 (おやすみ)
土 日常エッセイ

土日は、連続するけれど、授業がないので、たぶんそれほど負担にはならないはず。

執筆にかけていた時間を、他の方の記事を読む時間に当てたい。語り合うのは、他の方の記事でもできることだ。そして、読書や絵を描くために使いながら、心の中で温めていた企画も準備したいと思っている。

今考えている企画は、こんなこと。

①バーチャル展覧会
いつかnoteのなかで、展覧会をやりたいと思っていた。ポスターやチケットもデザインして、企画もいちから考えたい。

②サロン開講
以前からnoteのサークル機能に興味があった。
私は、芸術はできるだけ開かれたものであってほしいと思っているため、すべての記事を無料で公開している。けれど、閉じた場だからこそ、自由に意見や質問を投げかけられる場合もあるかもしれないとも思う。
私がサークルをやるとしたら、お客様のリクエストに応じた美術作品解説や、オリジナルricettaの提供をしてみたいなとぼんやり考えている。Art Saryoの隠し部屋のような感じで。

どちらも少しずつ形にしていきたいと思っている。

少しずつ修正しながら、私は、これからもnoteをつづけていく。




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附記

これまで、ずっと自分のnoteには、自分のイラストや写真を使ってきました。けれど、前回の記事ではじめて、他の方が描いたイラストを使わせていただきました。

自分の写真やイラストを使うというのは、なんとなくこだわっていたことでした。けれど、前回の記事にふさわしい写真やイラストを、私は持っていませんでした。
そこで、「こだわる」というのは、本来必要以上に気持ちがとらわれるという、あまりよくない意味の言葉だということをふと思い出したのです。

モリコハルさんの絵は、やさしい印象でありながら力強さもあって、記事の中の先生の鉛筆の音を具現化したようでした。

その絵に彩られた記事を、おすすめ記事に選んでいただき、変なこだわりを捨てることは間違いではなかったと思えました。

ほぼ毎日noteをたったひと月でやめることも、すこし抵抗があったのですが、変なこだわりは捨てて、自分の本当にやりたいことをしよう、そう決意できたのです。


これからも、しなやかに、楽しくnoteをつづけていこうと思います。




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