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死は必然だ。


最近、人が死んだニュースばかりがやたら目につく。
新型ウイルスの影響や、事故や、自殺など。
メディアの方向性があるのかもわからないけど。

人が死ぬ理由はどうあれ、
遅かれ早かれ、
命の灯は必ず燃え尽きる。
そういうものだとあきらめている。

僕は高校1年で父親を亡くした。ガンだった。

悲しい気持ちや、消化しきれないモヤモヤとした、形容しがたい感覚は忘れられない。
たくさんの管に繋がれて腹にあけられた横穴からは血を流し、死にかけても生きようともがき必死だった父と、あのどんよりとした無情な病室の空気感は忘れられない。

かといって、未だそれを引きずっているという訳ではない。
身の上話はこれくらいにしておくが、
そのときに気づいたことがある。

神なんていないこと。祈るだけで健康になれるのなら、誰もがそうしていること。

自分の目の前で人が死に
若い自分にとって頭の処理が追いつかない出来事が起きてもー。
決して、誰も目を向けてはくれないということ。


一見、ネガティブな聞こえだがそういうつもりはない。

もちろん、自分の心を察して声をかけてくれる人たちが居た。嬉しかった。
だが、知りもしない死者の死を、いちいち本気で悲しみ弔うほど人間は暇ではないのだ。

だから、その暇じゃない世の中へ。
いま生きている自分が一刻も早く戻るために、
本当の意味で死者が安心して逝けるような気持ちで、
身近な人を亡くしたこちら側(残された側)は前を向かなければいけない。

はじめにも触れたが、
新型コロナウイルスで命を落とした大御所芸人からはじまり、なぜか立て続けに若い俳優が自殺したりと、とにかく全国的に名の知れている人間が何人か死んだ。そんなニュースばかりだ。

だが、日本の人口からしたらたった数人だ。

あたかも自分の知人のように悲しむ感受性豊かな人たちもいれば、
やれ拡散をすべきではないと自分の正義をふりかざす人たちもいる。

そんなこと、どうでもいい思い付きのひとつでしかないだろう。

本気で対象を愛せていた人ならば、喪失感とか単純な初期感情だけでなく、
その人はどう生きていたのか、
なぜ死んでしまったのかをたくさん考えてあげただろうか。

きっと死んだ本人も報われるし、あなたの今後にとって大切な、
死生観や生活習慣を考えるきっかけにも昇華させられるキッカケになり得る経験だ。

手の届かないたった数人のために悲しんだり怒ったり、
まるで、だらだらとテレビを観るような
怠惰な感覚の一部として死について語るのであれば、
即刻やめたほうがいい。

そんな、どうしようもない感情論のかたわらで、
あなたが今、遠い存在である人間の死を意識している以上に、
あなた自身あるいは、あなたの周りでは死のきっかけがうごめいているから。突然の事故や、突然の病気の発覚、もしくは突然の殺人にあったり。


人は死に直面しない限り、たった一杯の水の旨さにも気づけない愚かな動物だ。


遅かれ早かれ、どんな形であれ、
誰もが死ぬ。
気づかないうちに迫っている死の影に、
気づいたころには手遅れだ。だから、精いっぱい生きてほしい。

たとえ、いまがどれだけつまらなくても、つらくても
一杯の水の旨さにも五感を研ぎ澄ませるような人間になれるように生きられるならー。

それがたくさんの幸せを感じさせてくれる、自分自身のアンテナなのだ。
アンテナを研ぎ澄ますことが、人生だ。全力で生きるということだ。


僕含めて多くの人は凡人だ。
働いて飯を食って死ぬ、
それが人生の大半の記憶になるかもしれない。

誰もがつきつめて考えたことのない、得体のしれない不安に駆られて生きて死んでいっている、そんな気がする。


一分一秒とは言わないが、日々を常に振り返って、
もし後悔することが起きたならば、明日から同じ後悔をしないように生きればいい。

誰かのために生きるでもいい、自分のために生きるでもいい。

死んだ人は二度とかえってこない。

いま、すべきは悲しむことなのだろうか。
いや、泣いたっていい、悲しんだっていい。

ただし、それにひとしきり気が済んでから、
生きている自分に何ができるのかを考えてみる。

もっと、生きている実感を感じられる人でいっぱいになれば、
俗にいう世界平和とかはとっくに確立されているだろう。
未だ、生きていることの貴重さに気づけていない人がおおい。

生と隣り合わせの死も、悪いものじゃない。

死は、生きている者に経験と人生の起爆剤と、
乗り越えるべき悲しみを孕んでいるもの。

死に怯えて生きろというのではなく、
死とも共存していることを理解して生きようといった考えだ。

"死"は生きているものに必ず訪れる。
もし、誰かが死んだなら、それまで。
でも、あなたは今生きている。
生きているあなたは、生きている限り幸せを尽くす権利がある。
だから、人の死に捉われても仕方がないのだ。

最後まで読んでくださった方へ。
恐ろしい・冷たい言葉に聞こえる方が多いのでしょうか。
それとも、僕に共感する方もいるのでしょうか。
どっちでもいいけど、
僕は人の死を弔うし、無視していいことではないと知っています。
ただ、それ以上に人の死を背負った人間は強くならなければいけないと考えています。
それが最大の弔いだと考えています。

みんなが少しでも、幸せに生きていられることを願っています。

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